EXECUTIVE BLOG
2024.1.13
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは 日光東照宮の「眠り猫」の話から
上野東照宮の 「昇り龍」の話でした。
どちらも左甚五郎の作品と言われています。
今日は左甚五郎の話に進む予定でしたが
今朝ふと思いついた事があります。
毎朝 寝ぼけまなこで書いているので 中々中身がまとまりませんが
ふと思いついた事と言うのは
何故全国に 東照宮があるのか???とかです
東照宮は 読んで字のごとくですが 東を照らす宮ですね
この事からも 前にも書いたように 京都の天皇家と対峙するために 自ら
神なって 徳川幕府の威厳を保とうとしたのです。
しかし その割に 朝廷から「東照大権現」という神号を頂いているのです。
これでは 対峙するどころか やはり天皇家の下の存在と認めている事になりますね
何も考えなければ 何故 家康は権力を徳川家のものにするために 天皇家を滅ぼそうと
しなかったのか?? と思う人も多いかもしれませんね、
もし 天皇家が無かったら 誰が一番偉いか?の判定を下す人がいなくなるので
それは残しておきたかったのです。
要は 天皇から 将軍職を頂き 朝廷から 神号を頂くことで 権威を保つことが出来たのです
こうして見ますと 絶対的な存在が朝廷にあった事がわかりますね、、
それで 安泰だったのですが 先にも書いたように 長州藩にも 朝廷のお付き合いを
許してしまったことが 260年後に徳川幕府が崩壊の原因を作ってしまっていたのですが
さすがに 家康はそこまでは読み切れなかったのでしょう。
この東照宮ですが
全国各地に東照宮が建立されて700社以上の東照宮が確認されているのです
が
明治時代に入り、廃仏毀釈もあり、廃社や合祀が相次ぎ現在では約130社が現存しているようです。
では 何故こんなに東照宮があったのか??
にも疑問が湧くと思います。
日光東照宮が創建された後に、
各地に領地を持つ徳川・松平一門を始めとして、
譜代大名や徳川家と縁石関係を持つ外様大名も東照宮を競って
東照宮を建立したからなのです。
要するに
徳川家の力が強大だったため忠誠のアピールのために作っていたと言うことのようです。
因みに 東照宮にお参りすするとどんなご利益があるのかと言いますと
家康は 狸と言われていましたね
それからのご利益として、
「たぬき」は「他抜き」として他のものを抜き去るにつながるとされていて
出世したい方とか競争に勝ちたい方にとって ご利益があると言われているのです。
出世したい方は 是非参拝されてみませんか???
と言う事で
明日は 山形で見つけた 甚五郎の作品、、、、
についてに
続く、、、、。