EXECUTIVE BLOG
2024.3.28
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは 伊勢神宮の話から
全国の神社を纏めている神社庁の話しでした。
江戸時代に伊勢神宮参りの仕掛人が居たらしいのですが この話は 又後日と言う事で、、
しかし 江戸時代の交通手段がない時に日本人の六分の一にあたる人が
お伊勢参りをしていたのには驚かされます。
九州や東北からは 一体何日かけて往復していたのでしょうか???
新幹線も飛行機もありませんし もちろんナビも無い時代に よく辿り着けたと思います。
到着したは良いが 予約など出来る時代ではないので 宿が満室とかなかったのか???
とか いろいろ興味が湧いてきます。
この研究をしている学者もいると思いますので 探してみます。
で 先日 伊勢参りした方の話しで お伊勢参りは 地元が必死で観光誘致をしなくても
今でも勝手に人が集まってくるので 他の観光地と比べて
地元の商店のサービスが低いと言う印象をうけると言う話を聞きました。
競争が少ないと 顧客サービスも低下するのでしょうか??
江戸時代に 何十日もかけて 到着した客に 満杯だと言って 無下に断っていたのかもしれません
それでも 野宿してでも参拝しておかげ参りをやり遂げたかったのだろうと思います。
で
昨日の続きで 神社庁が 実は国の機関では無かったと言う話の続きです
これには 深い訳があるのです。
神社本庁がつくられた切っ掛けはGHQの神道指令があったのです。
日本の敗戦後占領軍のGHQは
「国家神道が戦争をひきおこした」と認識していたので、
国家と神社の関係を分断することにしたのです。
神社にとって神道指令は
「公法人から民間の宗教法人への移行すればいい」という単純なものではなく、
神社が消滅する可能性がありました。
例えば、国有境内地の問題があります。
明治時代初期に政府は神社・寺院の境内地を官有地にし、さらに神社や寺院に無償で貸しているという状態にしてました。
これは神社や寺院が勝手に境内を売却しないようにするという良い点もありましたが、
神道指令は国から援助を禁止していますので、無償で土地を借りれなくなります。
そうすると神社・寺院は土地を購入するか、移転するしかありません。
こうした危機的な状況を乗り切るためには
全国の神社がまとまっていかないといけないということで設立されたのが神社本庁だったのです。
では 神社本庁が出来るまえは どうだったのか???
ですが
これには 戦前まで存在した内務省が関係していました。
その内務省が、、、、
の話は、、、
明日へ続く、、、。