EXECUTIVE BLOG
2024.3.29
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日は 伊勢神宮の話から神社庁の話でした。
神社庁は戦後GHQの指令によりできたのです。
連合国は 日本人が神社に行くので戦争をするのだと言う認識だったのでしょうか??
では
神社本庁の前に全国神社の団体がなかったのかと言いますと、
そうではないのです。
公法人である神社を所管する役所として神祇院(その前は内務省神社局)と言う
組織があったのです。
この神祇院で行っていた最大の業務は神社の戸籍を管理することでした。
神様を祀る場所には個人の祠もあれば、公法人としての神社もあります。
それらを区別するためには戸籍のような管理台帳が必要となり、
明治時代に「神社明細帳」という台帳がつくられていたのです。
しかし、神祇院は悪名高き内務省の外局だったと言う事で、
神道指令により解体されることになってしまったのです。
そこで次の民間3団体が合併して、神道指令に対応することになりました。
その3団体とは
大日本神祇会・・・もとの名称は全国神職会
神宮奉斎会・・・・神宮大麻の頒布をはじめ伊勢神宮の崇敬団体
皇典講究所・・・・神職の養成機関であり、國學院大學の運営母体
この3団体が合併して、解体される神祇院の業務を継承し、神道指令に対応するために創設されたのが宗教法人「神社本庁」と言う事なのです。
なお神宮奉斎会の活動拠点だったのが東京大神宮だそうで、
それまで個人宅に親戚が集まって「高砂や~」とやっていた結婚式を、
神前で神前結婚式と言う儀式を行い、式場で披露宴を行うように発展させていった功労者が東京大神宮と神宮奉斎会だったと言うのです。
先日の伊勢参りに仕掛け人がいると言う話でしたが
神前結婚式にも仕掛け人がいたのです。
なんでも それが当たり前と思わず興味を持つことで 色々な事が分かってきますね、
他にも先に書いた国有境内地問題など神道指令に関連した事案に対応するためには行政と交渉せねばなりませんでした、
それに神道指令によって廃止された祝日を復活させる紀元節復活運動なども神社本庁は行っていたのです。
では 神前結婚式と東京大神宮の話は
明日へ続く、、、。