EXECUTIVE BLOG
2024.4.18
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは 上野の西郷さんの銅像の話でした。
上野に西郷さんの銅像があるのが当たり前だとだけ思わず
何故 この場所なのか?
彰義隊を破った英雄と言うのであれば 靖国神社にある アノ方の方が
相応しいと思う方が多いかと思います。
あの方は 天才的な戦術家で 一日で彰義隊が敗れると予測していました。
そして 全滅させるのではなく 北に逃げれるように仕向けかました
作戦はその通りになり 彰義隊ほか 旧幕府軍は 東北へ向かう事になるのです
そこで 今度は 奥羽越列藩同盟軍を完全に撃破することになり
新政府軍が日本を完全統治へと向かう事になるのです。
この話は またまた長くなるので 後日と言う事で
西郷さんの銅像の話しですが
この銅像の製作は あの有名な彫刻家 高村光雲なんですよ。
そうなれば 連れている猟犬も彼の作かと言いますと 実は違う方なのです。
その方の 名前は忘れましたが 何故 別々の方が作ったのにも きっと理由があると
思うのですが、、、、
先にこの猟犬の話です、 これは兎狩りの犬なんです。
何故 兎狩りの猟犬といるのか???????
を 知るのは 彼の健康状態に起因したいる事をご存知の方は少ないと思います。
実は、西郷は象皮病という九州南部に多い風土病に悩まされていたのです。
これは寄生虫による病気で、感染すると皮膚が腫れ上がったうえ、
象のそれのようにざらざらになってしまうのです。
これに感染した西郷は陰嚢が肥大化して、一人で歩くことさえままならない状態にまで
なってしまいました。
西郷隆盛は一枚として写真を残していませんでしたので
城山で自刃した時も首が無い遺体が西郷かどうかの判断が分かりませんでした、
そのため遺体の確認も肥大化した陰嚢が決め手となったと言われています。
この象皮症は、世界 17 カ国で約 400 万人が罹患していると言われています。
これらの患者に対して 薬品メーカの エーザイは
22億錠を世界26カ国の人々に届けるという活動しているそうです。
しかも 素晴らしい事に無償で提供しているそうです。
で 西郷さんが 実は像皮症だったと言う事は分かりましたが
では 何故 猟犬を連れているのか???ですが
陰嚢が巨大に膨れてしまった西郷さんは 当時の褌では収まり切れませんし
その重さにも耐えられませんでした、
それで 兎の皮で作った特別の褌を使っていたと言われています。
そして それを作るためには 兎が必要でした
これから分かるように 西郷さんの銅像にいる犬は 西郷さん仕様の兎皮の褌を
作るための必要な兎狩りの為の犬だったのです。
銅像一つみても 色々な事がそこに物語としてあるのです。
では 何故上野の銅像は着流しなのか???
もしかしたら像皮症でズボンが履けなかったと言うのが真相かもしれんませんが
これは 明治政府の思惑が絡んでいたと言われています。
それは 何か????
は
明日に続く、、、。