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社長&顧問ブログ

2024.5.7

一休さん

 

 

高光産業株式会社 妹尾八郎です

 

昨日からの続きです。

 

昨日までは 長崎の清水寺の話から

回向寺と祈祷寺の違いの話でした。

 

寺の事を調べていると 次々に色々な事が分かってきます

 

本来であれば 高島平の名前の由来になった 高島秋帆の話に進まなければ

なりませんでしたが

 

お寺の話をもう少し

 

余程の専門家でない限り 宗派の違いなどわかならいのが現状だと思います。

 

近親者が亡くなった時に 自分の菩提寺はどこだったかを慌てて調べて

そのお寺に葬式を頼むくらいで 普段からお寺参拝をしてないのではと思います

 

長崎の 清水寺の様に 何かあった時の仏頼みで 祈祷寺に行く事はあっても

念願成就の為に 自分の菩提寺の住職にお願いに行く事はないのではと思います。

 

私の菩提寺は 福岡県遠賀郡芦屋町にある 観音寺なのですが

宗派で言いますと

禅宗の一派である 臨済宗大徳寺派が本山で 観音寺はその末寺と言う事になります。

普段は 観音寺にて先祖供養など行うのですが

本山である 京都の大徳寺にも入る事が出来るのです

 

この大徳寺は 一般の方は中に 入れないのですが

私は門徒と言う事で 参拝ですことができるのです。

 

この寺は 何で有名かと申しますと 歴史物語に出て来る 一休さんが勤めていた寺なのです

 

正式な名前は、一休宗純と言い 本当の臨済宗大徳寺派の僧だったのです。

出自は後小松天皇の落胤と伝えられていて、母親の出自は不詳だが、皇胤説に沿えば後小松天皇の官女で、その父親は楠木正成の孫だとも言われているそうです。

 

一休さんというと 私達は テレビアニメの一休さんをイメージしてしまいますが

これは 江戸時代に一休噺 と言って頓智物語が世に出てきたので 頓智の利く小僧のイメージがありますが

 

実際の逸話としては、、

木製の刀身の朱鞘の大太刀を差すなど、風変わりな格好をして街を歩きまわっていたそうです。

これは

「鞘に納めていれば豪壮に見えるが、抜いてみれば木刀でしかない」

ということで、

外面を飾ることにしか興味のない当時の世相を風刺したものであったとされています。

また

親交のあった本願寺門主蓮如の留守中に居室に上がり込み、

蓮如の持念仏の阿弥陀如来像を枕に昼寝をしていました。

その時に帰宅した蓮如は「俺の商売道具に何をする」と言って、二人で大笑いしたという。

 

正月に杖の頭にドクロをしつらえ、「ご用心、ご用心」と叫びながら練り歩いた利してたそうです。

こうした一見奇抜な言動は、

こうした行動を通して、当時の仏教の権威や形骸化を批判・風刺し、

仏教の伝統化や風化に警鐘を鳴らしていたと解釈されています。

 

このような戒律や形式に囚われない人間臭い生き方は、民衆の共感を呼んだのです。

 

それが 令和の時代にも続いているのですから凄いと思いますが

これは 私が常々言っている 常識に囚われないと言う生き方にも通じていると思います。

 

現代の一休さんと呼ばれるように精進を続けたいと思います。

 

他にもお寺を調べてみますと

色々な事がわかります

 

我が福岡県に 天皇に関係するお寺もあるのです

 

それは????

 

の話は

 

明日へ続く、、、。

高光産業株式会社 公式サイト

https://takamitsu.com/

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