EXECUTIVE BLOG
2024.6.8
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは 人種差別問題を解決すべく
国際連盟にたいして 日本が率先して 差別廃止の提案を出したと言う話でした。
結局この素晴らしい提案は 当時のアメリカ大統領によって却下されてしまったのです。
それでもアメリカの黒人たちは この事から 日本ビイキになるのです
1920年代になると 日本人のアメリカの移民が本格化して行くのですが
アメリカへの日系移民に対して、黒人たちは温かく接してくれたそうです。
当時の新聞には、
「黒人たちは日本人を心から尊敬している。同じ『抑圧された民族』であるのもかかわらず、『自分たちのために一生懸命努力する』日本人の態度は見習うべきものである」と。
書かれていた事もあったようです。
更にカリフォルニアのオークランドでは、黒人発行の新聞に
日系人がよく広告を出したそうで 当時の日系企業名が多数載って居たそうです。
逆に日系人の新聞には、黒人への差別やリンチを非難する記事がたびたび登場していました。
ロサンゼルスの日系病院の医師のうち、二人が黒人だったことについて、
地元新聞紙は
「ほとんどの病院が黒人に固く戸を閉ざしている昨今、日系人の病院がどの人種にも、
門戸を開放していることは本当に喜ばしい限りである。
同じ人種の医者に診てもらうことができる安心を患者は得ることができるのだから。」
と掲載されていました・
黒人を差別しない日本人というイメージは、
このようなメディアを通じて、またたく間に西海岸に広まって、
「連帯意識と共感的理解」と言う言葉が日系人と黒人の間によく用いられたのでした。
その関係が色濃くでたのが1923年の関東大震災の時でした。
この報せを聞いた多くの黒人は新聞に
「アメリカの有色人種、つまりわれわれ黒人こそが、同じ有色人種の日本人を救えるのではないか」
と投書したことで、それを受けて同紙はすぐに日本人救済キャンペーンを始めたと言うのです。
同紙の熱心な呼びかけは、多くの黒人の間に浸透していき、
全米黒人地位改善協会は、「同じ有色人種の友人」であると言う事で
日本国の天皇に深い同情を表す電報を送り、また日本に多額の寄付を行ったのです。
何故 それほど協力的だったかと言いますと
長い間白人たちの専売特許だった科学や商業、工業、軍事において、
飛躍的な発展を遂げようとしていた日本が、震災で大きな打撃を受けたことにより、
黒人もまた精神的な打撃を受けたと言うのです。
日本人は
「それまでの白人優位の神話を崩した生き証人」と黒人社会から尊敬されていたのです。
そして 震災から立ち直り 日本もある事でアフリカに貢献しようとしました。
それは何か????
は
明日に続く、、、。