EXECUTIVE BLOG
2024.7.7
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日前は シーザーの残した言葉のいくつかでした。
今でも
彼のフレーズの
「来た 見た 勝った」
「サイは投げられた」
「ブルータスおまえもか」
は あらゆる所で使われていますね
もう過去の話しで 覚えている方は少ないかと思いますが
三越で 当時の岡田社長が突然解任動議が出された時には
腹心をにらみつけ 「ブルータスおまえもか」のフレーズが頭をよぎったと思います。
この話は 又詳細は後ほどでと言う事で
今日は この中でも 「サイは投げられた」という言葉に興味があります。
賽は投げられたは、古代ローマ時代の政治家であり軍人のカエサルが、
追い詰められルビコン川を渡る際に放った言葉が由来とされていますが、
「ルビコン川を渡る」という表現は、後戻りのきかない道へと歩み出す、その決断を下すことを意味しています。
ここで 不思議なのは 何故ルビコン川を渡ると後戻りできないのか? と
高校時代は思っていました。
別に帰る時もルビコン川を渡ってかえれば良いでは❓と 意味も深く考えずに
そう思っていました。
地図で調べたらすぐわかりますが
ルビコン自体は、大した川ではではないのです。アペニン山脈に水源を発して東に流れ下るイタリアの小さな川で、リミニとチェゼーナの間を通ってアドリア海に注ぐ川です。
渡るのも簡単 戻るのも簡単な川です
しかし 何故 ここでルビコンがこんなにも重要なのか??ですが、、
当時カエサルが迫られていた決断は、どうやって対岸に渡るかということには関係なかったのです。
何故ならすぐそばに橋が架かっていたからです。
彼を立ち止まらせ、思案に暮れさせていたのは、この川の存在の意味だったのです。
ルビコン川は、当時カエサルが統治を任されていたローマの属州ガリア・キサルピナと、ローマおよびその周辺の直轄領から成るイタリア本土とを隔てる境界線だったからなのです。
将軍が軍を率いてイタリア本土に入ることは、
当時ローマの法律で明確に禁じられていたのです。
と言う事は、、
ルビコン川を渡ることは、カエサル本人はもちろん、
彼につき従う者も死罪に問われることを意味していたのです。
従って、もし軍団を率いて川を渡るならば、ローマを掌握するしかなかったのです。
それができなければ、刑死は免れないわけですから、自らの決断の重さにしばらく思いを巡らしていたと言う事になります。
結果、カエサルはルビコン川を渡るを決断するわけで
これでローマ内戦の火蓋が切って落とされる事になるわけです。
世界史は色々な面白い出来事があります
日本であれば 関ヶ原の戦いで 小早川の裏切り
また 本能寺では明智光秀が起こした事件は ある意味
彼らにとって重要な決断だったわけで
この時も サイは投げられたと言う事になります。
この後 ローマで何が起きるか??? までの話になると
延々と続くので この話は 一旦ここまでで
明智光秀より ずっと後
太平洋戦争時における インパール作戦も 後年
ルビコン川を渡る作戦だったと揶揄されます。
この時の司令官は 後年ずっと 愚将といわれており
私の部下の お爺さんにあたる方が この将軍の部下だったのですが
その方が 亡くなる前に 孫に話したのは
「今 目の前にそいつが居たら絞め殺してやる」 と語ったそうです
これは昭和の話しではなく 平成での話です。
自分が亡くなる寸前まで ずっとこの将軍の事を恨んでいたと言う事になりますが
一体 この将軍は誰で 何をしたのか????
いきなり ローマ時代から昭和の太平洋戦争に飛びますが
この話は
明日へ続く、、、。