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社長&顧問ブログ

2024.7.13

最大の失敗作戦

 

 

高光産業株式会社 妹尾八郎です

 

昨日からの続きです。

昨日までは ローマ帝国の話から

スペインの騎士 ドン・キホーテの話からの関連になっていました。

 

シーザーにしろ ドン・キホーテにしろ

民衆の生活ではなく 戦いや騎士の話ですね

実際 その戦いの中の当事者は大変だと思いますが、

 

我々が過去の歴史的出来事から学ぶことは、

私たちに平和への願いを持たせる重要な要素になると思います。

 

戦争や紛争の歴史から学び、その悲劇的な結末を理解することで、

私たちは平和に対する願いや努力を強化することができるからです。

 

戦争は多くの損失と苦しみをもたらします。

歴史的な出来事から学ぶと、戦争が引き起こす悲劇と破壊の実態を理解することができます。

平和を尊重し、積極的に維持する努力が不可欠です。

歴史は繰り返させないように学び、

平和を守るために適切な行動を取ることが求められているのです。

 

そこで 今日からは 延び延びになっている

日本軍最大の失敗と言われている インパール作戦についてです。

 

インパール作戦は、第二次世界大戦中の1944年に日本軍がインド帝国のインパールを攻略しようとした作戦で、

その結果、7万人以上の死傷者を出したことから「史上最悪の作戦」とされています。

 

なぜ失敗したのかと言いますと

 

日本軍はインパール作戦を実行する際、補給路が断たれ、食料が不足していました。

湿度の高いジャングルで劣悪な環境の中、食糧も配給されずに行軍せざるを得なかったため、多くの兵士が飢えや病気で亡くなってしまったのです。

 

食料が無いと兵士が訴えていたのにも関わらず、

大本営は「大和魂があれば不可能はない」という楽観的な精神論で作戦を進めたのです。

しかし、現実は厳しいもので、食わずして戦えませんので この作戦は無謀であったと言えるのです。

同じく飢えで苦しんだ戦いとして 有名なのが ガタルカナル島での戦いですが

こちらは 島に取り残され補給もままならない為の戦いでしたが

インパールでは 補給そのものを軽視していたのです。

 

そして この指揮をとったのが 後に最悪の将軍と言われた

第15軍司令官の牟田口廉也中将だったのです。

 

インパール作戦は、中華民国の援助物資の輸送路を断つことを目的としていましたが、

制空権の欠如や補給の問題が作戦を妨げとなり

結局、インパール作戦は日本軍にとって大きな敗北となり、

多くの犠牲者を出す結果となった 作戦だったのです。

 

歴史的な出来事から学び取ることは、私たちに平和への願いを持たせるだけでなく、

現在の諸問題に対する新たな視点を提供してくれます。

過去の出来事を振り返り、そこから得られる教訓や示唆を活かすことによって、

私たちは平和への道を築く手助けができるだと考えます。

 

これだけ読みますと 馬鹿な作戦を行ったと思いますが

 

牟田口中将は 何故 戦う前から困難と分かる作戦を実行したのかも

考える必要がありますね

 

牟田口将軍の立場にたって この戦いを振りかえる事も必要かと思います

 

その話は??

明日へ続く、、。

高光産業株式会社 公式サイト

https://takamitsu.com/

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