EXECUTIVE BLOG
2024.7.17
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは 15日がフィナーレとなった 博多祇園山笠が行われる
博多櫛田神社の話でした
この櫛田神社の事を調べていると 本家は 松坂にある松坂櫛田神社と
言う事が分かりました。
博多の櫛田神社は、757年創建ですから
本家櫛田神社は かなり古いのだろうと思って調べていますと
なんと それが 1700年頃と言うのです。
これは 誰が見てもおかしいですよね
本家が 博多櫛田神社より1000年も後に出来ているのは 何故と思うのは当然だと思います
この件は 山笠にも出ている先輩たちが多数居るので ちょっと聞いてみようと思いますが
博多の有名な ダジャレの 一言に
「山笠のあるけん博多タイ」 と言う言葉があります。
博多の人は一度は聞いた事があるかと思いますが 多分 どこかのCMで
使われたフレーズだと思います。
博多の方言で 山笠があるからを 山笠のあるけん と 「が」が の になり
「から」を けん と使っていますので
博多では普通に通じる言葉です。
多分随分前から この言葉は 一人歩きしてますので
みんな それが当たり前と思っていると思います。
今年 山笠を担いだ人 参加した人のなかで 何人が 博多櫛田神社はは
松坂櫛田神社のいわゆる子孫である事を知らないのではと思います。
私が普段からいっている 常識に囚われているからです
こういう事を言いますと 櫛田神社は 博多のものたい! と 博多の人には
怒られるかもしれませんが 事実は そうなのです
では 本家の松坂櫛田神社は 創建が1700年代になっているのは何故か???
と興味が湧きますね
それで 調べてみますと
社伝では垂仁天皇22年
先日も書きましたが この頃は元号と言うのがありません 元号は大化からです。
で、垂仁天皇22年 とは 紀元前8年にあたります。
この時
倭姫命が天照大神を祀る場所を探す旅の途中で
この地を案内した大若子命を祀るために創建されたとされているのです。
しかし
江戸時代の明暦頃に社殿も失われ中絶となってしまったのですが
享保年間に再興されたと 言う事になっています。
この享保年間が 西暦でいいますと 1700年代となっています
すなわち 一旦は 無くなっていた神社が再建されたのが1700年代なのですが
会社で言うならば 創立が紀元前8年で 設立が1713年 となっているのでは
と理解できます。
いずれにしても
福岡市博多区の櫛田神社は、757年 天平宝字元年に
松坂櫛田神社を勧請して創建したと伝えられているのです。
では 一体誰が何故 勧請したのか???
その前に 勧請とは なんぞや?? との疑問も湧いてきます
これらの話は
明日へ続くのか?????