EXECUTIVE BLOG
2024.7.24
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは
東京三社祭りが 東京の三大祭りと勘違いをしていて
三社祭りは 浅草の御祭りだったと言う話でした。
話しがあちこちに飛んでしまって
本来なら 奈良東大寺と宇佐神宮の関係の話に進まなければなりませんでしたが
もう少し 浅草ネタで、、、、
三社祭りが 浅草の御祭りだったこと や 昔は 神輿の上に人が立ってましたが
今では 東京都条例で それは禁止されているそうです。
考えてみますと 神様の乗り物の上に人が立つのはどうかと思いますが
博多の山笠にも人が乗ってますね、、
博多山笠の発祥は 櫛田神社ではなく 承天寺と言うお寺がルーツで そこで
お坊さんが 山笠の原型のような乗り物に乗っていたので そもそも それは
神様ではないと 考えれば良いのか?? と勝手に考えてしまいました。
で 浅草ですが
東京行かれた方は 一度は訪れた事があると思う 浅草ですが
やはり 名物は 雷門と書かれた大きな提灯がぶら下がっている門ですね、、、。
この提灯 下から覗くと 奉納松下電器と書かれています。
で ここで言いたいのが
雷門をくぐって 真っすぐ行けば 神社があるかと思いきや
そこに有るのは 浅草寺ですね
てことは 雷門は 神社の入り口ではなく そして お店が並んでいるのは 参道ではないのか??? と思ってしまいます、、、
さらに 正面にあるのが 浅草寺であるならば 浅草神社ってどこにあるのか???
前に行った時は そんな事も考えずに 浅草寺が神社とばかり思っていました。
ここで 浅草寺と 浅草神社の話に進みたいのですが
雷門の事を思い出したので
まずは 雷門の話から、、、、。
「雷門」という名前は実は通称。正式名称を「風雷神門」というんです。雷門ができたのは、平安時代の942年。平公雅(たいらのきんまさ)という武将によって駒形付近に建立されました。
現在の地に門が移転してきたのは鎌倉時代のこと。門が移築された際、風神像と雷神像が奉安されました。ここから「風雷神門」の名がつけられたというわけです。
江戸時代末期の1865年、雷門は田原町大火と呼ばれる火災で焼失してしまったのです。
その後長らく再建されませんでしたが、
1960年に松下電器の創業者である松下幸之助の寄進によって再建が実現したのです。
何故寄進したかと言いますと、
松下幸之助が浅草寺で病気平癒の祈願をしたところ、
体調が回復したことから感謝の気持ちを込めて建てられたと言われているのです。
この時、同時に雷門の大提灯が設置されて、現在の雷門の姿はこの時完成し、
以来浅草のシンボルとして親しまれるようになったのですよ。
普段よく目にする雷門ですが 松下さんが関わっていた事をご存知の方は
少なかったのではないでしょうか?
と言う事で
明日も 雷門の話に
続く、、。