EXECUTIVE BLOG
2024.7.30
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨夜は 江戸の大火事の話しでした。
三大大火事の中でも 振袖火事は有名ですよね、
そして 当時の幕府が メンツを度外視して 天守閣再建よりも
町民を救う事にした事で その後の江戸幕府安泰にも寄与したのかもしれません
この大火を契機に江戸の都市改造が行われ、御三家の屋敷が江戸城外に転出するとともに、それに伴って武家屋敷・大名屋敷、寺社が移転したのです。
また、市区改正が行われるとともに、防衛のため千住大橋だけであった隅田川の架橋が両国橋や永代橋などが行われ、隅田川東岸に深川など市街地が拡大されるとともに、
吉祥寺や下連雀など郊外への移住も進んだのです。
吉祥寺は今は 中央線沿線の武蔵野市にありますが、
前にも書きましたが
明暦の大火で江戸本郷元町、
現在の文京区本郷一丁目、東京都立工芸高等学校付近に存在した諏訪山吉祥寺の
門前町が焼失した際、
江戸幕府は都市計画に基づき同地を大名屋敷として再建することにしたのです。
そのため、吉祥寺門前の住人を始めとする居住地・農地を大幅に失った者達に対し、
5年期限で扶持米を与えて家屋の建築費用も貸与するという条件で希望者を募った所、
吉祥寺の浪士の佐藤定右衛門と宮崎甚右衛門が土着の百姓・松井十郎左衛門と協力してこれに応じ、
現在の武蔵野市東部を開墾して住人達を移住させたのです。
ここの住人たちはもともとの地名に愛着を持っていたので 武蔵野の農地の場所を
吉祥寺と呼ぶようにしたのです。
ですから吉祥寺はもともと 文京区本郷辺りだったと言う事になるですよ、、。
又 この吉祥寺は、1923年の関東大震災を契機に被災した市街地から多くの人たちがまたもや吉祥寺に移り住むことになり、人口が急増する事になります。
美しいケヤキ並木でも知られる成蹊学園が池袋から移転したのもこの頃で、
農村から住宅街、そして多くの商店や学生で賑わう街へと変貌を遂げることになったのです。
因みに 吉祥寺には 吉祥寺と言うお寺はないのです。
と話が 江戸の大火事 新門辰五郎の話から 大きく逸れましたが
明日は
江戸火消の話に もどれるか??
それは
明日に続く、、、。