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社長&顧問ブログ

2024.8.16

坪内逍遥

高光産業株式会社 妹尾八郎です

 

昨日からの続きです。

 

昨日までは それまでの文学を 文語体から口語体へと変えた

時代の変革者 二葉亭四迷の話でした。

 

この二葉亭四迷 もちろんペンネームですが

今日は、何故この名前なのか???

 

何故彼は坪内逍遥を頼ったのか??? の話に進みます。

 

二葉亭四迷の筆名の由来は、

彼の処女作『浮雲』に対する自己卑下から来ていると言われています。

特に、坪内逍遥の名を借りて出版したことに対して、自身を「くたばって仕舞え」と罵ったことが由来とされているのが定説で

 

他にも、文学に理解のなかった父に言われたという説もありますが、

これは俗説とされているのです。

ここで 二葉亭四迷という作家を簡単に説明するなら、

写実主義者で、坪内逍遥と親交が深く

小説としては初めての「口語文」を用いた

ロシア文学の研究者でもあったと言えるかと思います。

 

写実主義者として二葉亭四迷と坪内逍遥は有名ですね、

写実主義とは明治時代に、坪内逍遥と二葉亭四迷によって作られた文学の思想で、

「ありのままの様子を文学にしよう」という考え方です。

 

今では当たり前の作風ですが、それまでは勧善懲悪だとか、芸術的な表現に拘った作品が多かったのですが、

明治の文明開化のころからそれらに固執しない作風が多く出回るようになりました。

 

と簡単に今だと言えますが

多分当時は そんなのは 芸術でも文学でもないと言われていて

最初は苦労したのではと思います。

 

ここで 何度も書いていますが 私のビジネスモデル特許も 今までにないから

特許取得できるのですが それまでの 常識が邪魔をして

なかなか受け入れられない事が多々ありますので

逍遥や四迷の苦労をなんとなく理解することが出来ます。

 

浮雲の内容は後からと言う事で

四迷は 何故坪内逍遥を頼ったかですが、、

 

彼は逍遥の著書『小説神髄』に疑問を抱き、

その疑義をただすために逍遥を訪ねたのがきっかけだったのですが、

その後、逍遥の勧めで『小説総論』を発表し、

さらに逍遥の本名を借りて『浮雲』を出版してますね

 

しかし 頼っていった逍遥の著書に何故疑問を抱き浮雲を書いたのかですが

 

『小説神髄』に疑問を抱いた理由は、逍遥の理論に足りない部分があると感じたからで、

四迷は『小説神髄』の理論を批判し、

それを補完する形で自身の作品『浮雲』を執筆したと言われていますのです。

師匠の本に疑義を抱き それを補完する本をだすとは 失礼なと思ってしまいます。

 

今では 浮雲は 二葉亭四迷が書いたと言うのが当たり前ですが

 

当時 この本を出すときには、、、、、

 

ちょっと 仕掛けが必要でした

 

明日は

 

その話に続くのか????

高光産業株式会社 公式サイト

https://takamitsu.com/

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