EXECUTIVE BLOG
2024.8.19
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは 日本文学の革命児とも言われる 二葉亭四迷の話でした。
彼が 翻訳したのが ロシアの作家ツルゲーネフの「あいびき」でした。
この作品 昨日もさわりの所書きましたが
当時のロシアは 帝政ロシアで 身分制度がありました。
農民は貴族から差別されていたのです。
世界の歴史をみると 身分制度があった事が分かりますね
日本においても 士農工商と言う身分制度がありましたし
長く女性と言うだけで 差別もあり かつては 女性には参政権も無かったのです。
殿方にとりましては悲劇的な出来事と言われたのが 昭和33年の赤線廃止です
昭和33年と言いますと 前に書いた 三丁目の夕日にも出て来る 東京タワーが出来た年です、
この年まで 赤線つまり売春が違法ではなかったのです。
ここで 立ち上がって赤線廃止運動を行ったのが 市川房江さんでしたね
この方がどんな方なのか??
女性初の国会議員はだれ? の話になると
話しが またまた大きく逸れてしまうので、
話しは戻して 明治維新 文明開化の話に、、、。
文明開化と言う言葉は 学校でも習って 耳にした事があると思います。
しかし
この言葉の発案者は誰かを知ってる方は少ないと思います。
この「文明開化」という言葉は福沢諭吉が『文明論之概略』明治8年の中で、
civilizationの訳語として使ったのが始まりなんです。
文明開化とは、
日本が明治時代に入った時に生活様式がどんどん西洋化していったことを言いますね。
文明開化の原点とも言う出来事は、
1853年に浦賀にペリーが来航したことによって日本は開国した事です。
これまでオランダの限られた西洋技術しか入ってこなかった日本は
一気に西洋の新しい文化に触れることができるようになりました。
さらに、これまで日本の政治を動かしてきた江戸幕府が1868年に崩壊すると、
新しくできた明治新政府は西洋に負けないように西洋の技術を取り入れ、
西洋の様な中央集権国家を建設していくことになるのです。
つまり 旧体制の終わりの始まりは 1853年のペリー来航がきっかけだったと
言う事になりますね、、。
そして
明治時代に入ると明治新政府は遅れていた政治システムや制度を
西洋に追いつくぐらいまでにするために立て続けに新制度を設けていく事になるのです。
これから 新時代の幕開けとなるのですが
他には 何が変わっていったのか???
は
明日に続く、、、。