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社長&顧問ブログ

2024.8.24

通訳

高光産業株式会社 妹尾八郎です

 

昨日からの続きです。

 

昨日までは

大統領は 棟梁の中の棟梁と言う事で 大統領と訳したと言う話から

 

鎖国で オランダ意外の国とは交流がなかったはずなのに

どうやって 英語を学ぶことができたのか?? の話でした。

 

そうは言いましても 英語が話せる人は殆どいなかったと思います。

で今日は

黒船の ペリーとは どのようにして 会話したのか??の話です。

 

ペリーの艦隊が、浦賀の沖合いにいかりを下ろすと、まもなく、

与力の中島三郎助と、オランダ通詞(オランダ語通訳)の堀達之助が乗った船を

近づけ、

ペリーが乗っている船のそばまで来ると、堀が下から大声で、

まず 「自分はオランダ語が話せる」と、英語で呼びかけたのでした。

ペリー側は、オランダ語通訳のポートマンを出して、

堀とオランダ語で会話をさせたのです。

そして 堀・中島の二人を乗船させました。

 

このときに行われた話し合い以後、日本側とペリー側の会話は、

日本語→オランダ語→英語、または、英語→オランダ語→日本語という順序で

訳されながら、行われたのです。

 

その後和親条約の親書を手渡されるのですが

当然 英語で書かれています。

では これは どのようにして訳されたかと言いますと、

 

実はこの親書には、ペリーに同行した中国語通訳のウィリアムスによって、

漢文に訳されたものも、つけられていたのです。

 

幕府では、その漢文を日本語に訳したものをもとにして、いろいろな人の意見を集めたのです。

 

そして翌年に結ばれた日米和親条約には、

日本語・英語・オランダ語・漢文の4種類の文書が、用意されていたのです。

 

いま考えますと 笑い話の様ですが

こんな手間をかけていたのです。

 

こんな事をしていては 時間がかかる過ぎますね

 

それで

幕府は その後 ジョン万次郎を通訳として雇う事になるのです、、、

 

 

ちょっと待てよ

では ジョン万次郎は 何故英語が話せる事が出来るのか??

 

海外からの出戻りは 鎖国の江戸時代では 処刑のはずではなかったのか・・・

 

彼は 何故 英語は話ができて 殺されずにすんだのか???

 

の話は

 

過去に詳細を書いていますので それを探して読んで頂きたいのですが

 

明日は そのさわりと

 

その後英語は どのようにして 日本に広がる事になったのか????

 

明日に続く、、。

高光産業株式会社 公式サイト

https://takamitsu.com/

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