EXECUTIVE BLOG
2024.8.30
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは 歴史を俯瞰して見ると面白い事がわかると言う話でした。
坂本龍馬が英雄として銅像が建つのであれば その元の情報を流す
原因を作った 万次郎の養父も英雄であると言えるのではと思います。
これは 過去だけでなく 今 この世に存在している我々の
行動も もしかしたら100年後の大変な影響を及ぼす事になるかもしれませんよね、、
で 話は 坂本龍馬やジョン万次郎と言う英雄ではなく
彼らよりさらに昔の名もなき漁師の話になります。
彼自身は自分の 勝手な行動が その後の日本を救う事になるのですが
そんな事など知る由もありませんでした。
大黒屋 光太夫と言う人の名前は聞いた事があるかと思います。
この方は 後に蘭学発展の為になったと言うことで 幕府にも重用され
今では 鈴鹿に彼の記念館があるのです。
この名もない男は この大黒屋の下で働いていた船員でした。
ある時 彼らの船が難破して7か月あまりの漂流ののち、
一行は日付変更線を越えてアリューシャン列島の1つであるアムチトカ島へ漂着したのです。
そこから色々苦労もあったと思いますが イルクーツクで あるロシア人に助けられ
その後 モスクワ迄連れていかれたのです。
このロシア人は 単なる人助けの為に助けたのではなく ある意図があって
当時のエカテリーナ2世に謁見させたのです。
当時のロシアは 南下政策で不凍港が必要でした
それで 隣の国の日本に目をつけていたのです。
しかし当時日本は鎖国してましたので 交渉等も出来ない状態でした。
そんな時に 飛んで火に入るなんとか みたいに
漂流した日本人が連れて来られたのです。
これを交渉の手に使わないわけにはいきませんね 彼らを日本に帰すと言う事で
幕府との交渉を目論んだのです。
結局は人道的見地ではなく 単に自国の利益の為の行為だったとい訳ですね
これは ペリーが日本に開国を迫ったのと同じです
これも 自国の捕鯨船の寄港先に日本が必要だった為でしたね、、
大黒屋たちは その後 鎖国の状態でしたが なんとか幕府の許可を得て
帰国を許される事になるのですが
この時の話は また後程でと言う事で、、、
で 話は 一旦ペリーに戻りますが ペリーは日本に来た際に
あろうことか 八丈島は米国のものだからなと とんでもない事を言いだしたのです。
江戸から少ししか離れていないところに アメリカの基地が出来てしまえば
幕府としては 喉元にあいくちを突き付けられた感じる程の恐怖を感じたと思います。
日本である事を証明してみろと ペリーから言われると
知人が鶏を飼っているとか 笑い話になるような説明を必死で行ったのですが
ペリーからは きちんと日本であると言う事が国際文献に無い限り そんな主張は
通らないのだと そんな事を鎖国をしていから知らなかったのだから 自業自得だと
言われてしまうのです
日本最大の危機を突き付けられたのです、、、
長くなりましたが
このピンチを救ったのが 大黒屋のもとで働いていた船員の話になるのです。
彼らが難破漂流したのが 1790年頃です
で ペリーが日本に来たのは 1853年でしたね
約60年後に この船員のとった行為が 日本を救う事になるんですよ
彼が どんな事をしたのか・・
の 話は???
明日へ続くか????