EXECUTIVE BLOG
2024.9.4
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは 井伊直弼の話でした
井伊直弼は誰もが知っている、明治維新史における重要人物の一人であることは間違いありませんね。
直弼と言えば、大老として通商条約を締結し、
14代将軍を徳川家茂にすることで将軍継嗣問題に片を付け、
そして、反対派を安政の大獄で弾圧したものの、
桜田門外の変で暗殺された激動の人生を送った人物として知らています。
その経緯は間違いないものの、どのような思いや判断からそうした事態を招いたのか、
そう問われるとなかなか答えが出し難いとおもいます 。
歴史上の人物で、直弼は、非常に評価が分かれる人物だと言う事なのです。
江戸末期の国難を一身に責任を背負いながら、通商条約を結び日本を開国に導き、
近代日本の礎を作り、日本を植民地化から救ったと英雄視されていますし
その一方で、安政の大獄での苛烈極まりない処断から、
血も涙もない専制的な悪人のイメージも付きまとっています。
勝手に開国してけしからんと思う方も多いかもしれませんが
開国を決めたのは その前の老中の阿部正弘だったですよね、、
我々が学生時代は 幕末から近代史をあまり教えていなかったので
この辺りの記憶は曖昧です。
とにかく 尊王攘夷派は 幕府が天皇の裁可を経ずして アメリカとの条約を交わした事をけしからんと言っているのです
又 朝廷に対して 外国と交流するのは危険と吹き込むものですから
天皇陛下もその言葉を信じてしまって 攘夷決行を促すのです。
ここらあたりを紐解くと どんどん長くなってしまうので
結局は 維新後の 薩長が とにかく 安政の大獄で弾圧したのはけしからんと
言う 薩長史観を植え付けたのだと思います。
先日も書きましたが 勝てば官軍で勝った方が歴史を書き換えるのは世の常ですね
とにかく 井伊直弼は 14男で 跡取りでもなんでもなかったお茶を愛する人間が
運命のいたずらか 大老に押し上げられてしまった為に
最後は 桜田門で非業の死を遂げるとは思いもよらなかったと思います。
それから 百数十年後 彦根藩があった 彦根市で 面白い出来事が
起きるとは 井伊直弼も思ってもいなかったと思います。
その面白い出来事とは?????
ありえないでしょ????
と
思うような話です
その話は 明日に続く、、。