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社長&顧問ブログ

2024.9.13

江戸の時間

高光産業株式会社 妹尾八郎です

 

昨日からの続きです。

 

昨日までは 江戸も終わり 新たな明治が始まり

文明が 開花していくと言う話でした。

 

その中で 暦もかわり 一週間と言う生活リズムができて

日曜日を休日にすると決まっていったようです。

 

そうなると 知りたくなるのが それまでの江戸時代の人は

どのようして 時間を管理していたのだろうか?? と思ってしまうのです。

 

江戸時代の時間の数え方は、

冬と夏とでは、昼と夜との長さに幾分かの違いはあったようですが、

時代劇の中では、およそ現在の二時間を一刻としているようです。

明け六ツから一日が始まり、

朝五ツ、朝四ツ、昼九ツ、昼八ツ、昼七ツ、

そして暮れ六ツ、夜五ツ、夜四ツ、暁九ツ、暁八ツ、暁七ツ

そして再び一日の始まりとなる明け六ツとされていました。

これが、不定時法と呼ばれる時刻の数え方だったのです。

 

不定時法とは、「明け六つ」が日の出のおよそ四半刻前(約三十分)、

「暮れ六つ」が日没のおよそ四半刻後(約三十分)と定め、

昼を六等分、夜を六等分した時間の数え方でした。

ですから一刻の長さも昼と夜、夏と冬という季節では随分差が出るのは至極当たり前のことでした。

しかし、

江戸時代の人々の生活、生業のほとんどが、太陽が昇ると共に始まるのですから、

「不定時法」が当時の一日の時間の数え方としては、理にかなっていたと言えますね。

 

そして、

江戸の人々が「時間」を知るには、

江戸城での登城時に打たれる太鼓を基準に打たれた「時の鐘」、

最初に三打ちした後に其の刻の数だけ鐘を打つ鐘で時刻を確認していたと言うのです。

 

へえそうなんだ と言えばそれまでですが 何故最初に三打ちするのか???

と 疑問が湧きますね、、、、。

 

江戸では「捨て鐘」と呼ばれる撞き方があり、

時刻を告げる時打ちの鐘を撞く前に、先ず注意をひくために三度撞き鳴らしていたのです。これは、一つ前の順番のお寺の「捨て鐘」を聞いたら、

遅速なく次のお寺で鐘が撞けるようにするための知恵でした。

江戸の「時の鐘」は、前の寺の鐘の音が必ず聞き取れるような位置関係に有ったようです。

しかし

誤って遅速した場合の罰則はかなり厳しいものがあったようです。

が どんな罰則かまでは調べ切れてません、、、

 

17世紀中頃になると、

全国的な規模で「時の鐘」の「捨て鐘」による連動を伴った時報システムが拡大して行き、全国津々浦々、鐘の鳴らない所はなかったとまで言われるようになったようです。

 

このように一つの国で、これだけの時報専用設備を網羅して、

人を配置して遅速なくそれらを連動して鳴らすという時報システムは、

鉄道や電信などが発達していた19世紀末の欧米諸国でも見られない画期的な事であり、現代の鉄道の運行ダイヤをはじめとする時刻に細かいとされる日本人の素地が、

既に出来上がっていた一つの例では、と思ってしまいまね、、。

 

時の鐘は、幕府の管轄の下、「請負人」・「鐘撞き人」という特定の人物や、

各寺社がその役を担って、その費用は鐘撞料を徴収したり、

もしくは托鉢で賄っていたと言うのです。

 

時間の捉え方は 今では考えられないと思いますが

この時間の取れ方も 文明開化と共に 変化していくのです、、、

 

他に 文明開化で何が変わったのか????

 

明日に続く、、。

高光産業株式会社 公式サイト

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