EXECUTIVE BLOG
2024.9.18
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは 中国地方の話から
中国地方は 山陰と山陽に分けられると言う話でした。
そして 山陰 山陽は 陰陽道にも繋がる事から 陰陽道についての話になりました。
山口県には 山陰と山陽を結ぶ道として 陰陽連絡道と言う道路があり
これを萩往還と言われていて、
江戸末期には この道を多くの維新の志士たちが行き来していたのです。
山陰側の街が 萩です。
長州藩の中心地が長らく置かれていた萩は、
幕末維新志士たちのゆかりの地として有名です。
特に吉田松陰、高杉晋作、伊藤博文、木戸孝允などがこの地で活躍しました。
吉田松陰 は松下村塾を主宰し、多くの若者を教育しました。
彼の教え子には、後に日本の近代化に大きく貢献する人物が多く含まれています。
その一人が
高杉晋作 で奇兵隊を結成し、長州藩の改革に尽力しました。
彼の行動は、幕末の動乱期において非常に重要なものになったのです。
高杉晋作が作った奇兵隊は それまで 戦いは 武士が行うと言う常識を
覆して 農民でも兵士にして 戦わせると言う 当時としては奇想天外の発想を
行い これが戊辰戦争でも 力を発揮する事になるのです
他にも色々な事を行っていますが
彼は 29歳の若さで命を閉じています。
この彼の師匠が 吉田松陰で 松陰は萩野 松下村塾、しょうかそんじゅく と読みますが
ここで 松陰から思想を学んでいくのです。
ここで 学んだ若き志士たちが後の日本を動かすのですが
吉田松陰の名前は知っているが 一体彼はなにを考えていたのか?
それが 維新にどのように繋がり 文明開化を迎えることになるのか???
の話は
明日へ続く、、、。