EXECUTIVE BLOG
2019.6.3
高光産業株式会社 妹尾八郎です。
物流会社の高光産業が なぜ ITビジネスも手掛けるように
なったのか?
と よく質問を受けます。
今回は このあたりのお話を連続で書かせて頂きます。
私は 大学を卒業して就職をするにあたり
次男と言うこともあり、 まったく家業を継ぐという
発想はありませんでした。
それで これから 就職をするにあたり どんな会社が良いのかな
と大学4年になるころから考え始めていました。
先ず 選択から離れるのは 自分自身文系なので
理科系の企業は無理ですし 安定はしているが 公務員や
学校の先生なども全く向いていないので これも選択外でした。
特にこれがしたいという考えもなく
なんとなく 社会的有名な会社が良いのだろうと真剣にも考えていませんでした。
兄がその時に三井物産に勤務しておりましたので なんとなく
海外勤務にもあこがれていたので 商社には行きたいと考えていました。
それとなんといっても サラリーマンになるわけですから
給料が高い会社が良いなと勝手に考えていました。
しかし 当時は就職不況の時でしたので
なかなか 目的の会社に就職をするのは厳しく
一流企業は 大学で先ず振り落としがあり さらに その大学であっても
学部によっては差別を受けて受けることすらできませんでした。
いよいよ真剣に就職を考えなければならなくなり
定年後の再就職の事を考えると金融機関もよいのかと
安易な発想で 銀行系も調べてみたのです。
当時は 都市銀行は給料たかく
地方銀行 相互銀行 信用金庫 信用組合とかは
それよりは低いのが現実でした。
当時私としましては 福岡に戻るという考えもなく
海外で勤務したいと考えておりまして
商社だけでなく 金融機関も海外支店はあるので
海外での勤務も可能性があります。
では 都市銀行には当時どんな銀行があったのかと言いますと。
三井銀行 三菱銀行 住友銀行 富士銀行 第一勧業銀行
日本興業銀行 三和銀行などがありました。
今思えば どこも残ってませんよね、
ここでも時代の移り変わりを感じます。
しかし 就職するにあたっては どこも超難関には
違いがありません。
どうしようかと悩んでいた時に
こんな銀行もあるのだということを
知ることになるのです、。
そこで、、
続く