
EXECUTIVE BLOG
2024.11.15
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは エベレストの登頂に最初に成功したかもしれないマロリー達の
話しでした。
成功したかもしれないというのは 彼は 途中で遭難してしまい
遺体が見つかったのは それから70年以上経ってからで
それが 登頂後の下山の途中だったか? はたまた 登山中だったのか??
が いまだに判明していないからです。
彼等は当然 登頂成功を収める為にカメラを持っていってました。
もし登頂に成功していれば 世界初のエベレストの頂上からの写真を撮っていたはずなのです。
彼等を発見した際に カメラが残っていれば そこから 登頂成功か否かを
判断出来たのですが マロニーの遺体には カメラが無かったのです。
そうなると もう一人の遭難者である アーヴィンがカメラを持っていたことになるのですが、
残念なことに アーヴィンの遺体は 遭難から100年経った現在もまだ発見されていないのです。
もし発見されることがあれば 彼が持っていたであろうカメラを現像すれば
歴史的な快挙が撮影されている可能性があり
そうなると マロニー達が 人類最初の エベレスト登頂成功者と言う事になるのです。
すぐ目の前にある 山ですが 何人もの探検家が挑戦してきましたが
その成功は 20世紀に入ってからと言う事になります。
世界各国は威信をかけて 登頂にチャレンジしていたのは
最近では 米ソが争って ロケット開発を行い
最初に宇宙に人類を出したのが ソ連のガガーリンでしたが その後米国も
ケネディ大統領の時に 1960年台最後の年までに 月に人を送り込むと宣言し
アポロ11号のアームストロング船長が 人類最初に月面に降り立ったのでした。
この日は 朝から 衛星放送で日本でもその瞬間を見る事ができたのを
今でも私は覚えています。
どうも国同士は威信をかけて戦うのが好きなようで
最初に南極の南極点に到達するのも イギリスはチャレンジしていましたが
これは ノルウェーの探検家のアムンセンが 人類最初に南極点に到達してイギリスは
破れています。
しかし 単純に考えると エベレストの山頂到達と 南極点到達だと
圧倒的に 南極点到達の方が困難なような気がしますが
南極点到達が 1911年なので エベレスト到達より 10年くらい早かったのですから
驚きです、
そこに見えている山の方が難しいのですから 如何に エベレスト登頂が厳しいのかが
分かりますね、、。
それは
エベレストの最高高度で人間が生命を維持することはほぼ不可能であり、
ほとんどの登山家は標高が7000メートル程度を超えると補助酸素を使用するのです。酸素不足は、登頂を試みる登山者にとって最大の脅威の一つであり、
エベレストの「デスゾーン」と言われる場所に到達すると
酸素濃度は40%未満にまで低下すると言われています。
それでエベレスト登頂を試みるには、
数カ月、時には数年にわたるトレーニングと体調管理が必要で、
それでも登頂できるとは限らないのです。
事実、エベレストでは300人以上が亡くなっているのです。
5歩歩いたら、30秒から1分かけて息を整えなければならいくらい過酷だそうです。
もし誰かをエベレストの高所にあるキャンプに放り込んだら、10分から15分で昏睡状態に陥り、そして、酸素濃度の低さに体が適応できず、1時間以内に死んでしまうそうです。
これでは そこに見えていても 20世紀なって 初めて登頂に成功した意味が納得できますね、、、、、。
世界競争の的になっていたエベレストですが
現地の人は どのように見ていたのか????
の話は、、、
明日へ続く、、、。