EXECUTIVE BLOG
2019.6.7
高光産業 妹尾八郎です
先日 弊社顧問の元警視総監井上幸彦氏の
友人から聞いた話です。
それは多くのイラク人が日本人を尊敬しているという話でした。
自衛隊の番匠幸一郎一等陸佐が率いる復興支援の本隊・第一次イラク復興支援群がサマーワにつくと、
番匠一佐は現地の人々に繰り返しこう語って理解を求めたそうです。
「我々はあなた方の友人として、日本からサマーワに来た。
我々日本も、60年前の先の大戦で敗れ、国土は焦土と化した。
すべてが無に帰し、食料にも困る日々が続いた。
そんな廃墟のなかから、私たちの祖父母、父母の世代は立ち上がり、
大変な努力をして、日本を復興させた。
そして、その結果、いまや経済力世界第二位という日本を築き上げることができた。
メソポタミア文明という人 類にとって偉大な歴史を有するあなたたちイラク人は偉大な国民だ。
あなた方に同じことができないはずはない。我々は友人として、あなた方が立ち上がるお手伝いに来たのだ。」
イラク人にとっては、日本は同じアジアの国である。さらに自分たちと同じようにアメリカにやられた国だという意識
があったそうでその日本から「友人として助けに来た」という番匠一佐の言葉はイラク人の心に響いたそうです。
さらに
宿営地には建設中の段階から、外国の軍人たちが表敬や見学のために訪ねてきたが、彼らが一様に驚くのは、イラク人
作業者たちが、夕方になってもまだ働いていることだったそうです。
外国の宿営地で雇っている作業者たちは 3時、4時になると仕事が途中でも帰ってしまうのだそうです。
夏場には60度にも達し、風が吹くと汗はすぐに乾いて塩になってしまうほど暑い劣悪な地域なのです。
それで 外国の軍隊の多くの場合は、イラク人作業者に作業を命ずると、彼らだけを働かせ
「後は任せた」 と言って
仕事を押し付けてさっさと帰ってしまうのだそうです。
しかし 自衛隊はたとえ幹部自衛官でも、彼らと一緒になって、
ともに汗を流し、
宿営地の鉄条網整備の際には、日本人とイラクがチ ームを作り、有刺鉄線の為服はボロボロになってしまい、体中、血だらけ汗まみれになっても
一緒に作業を作業を続けたそうで、
昼食は分け合い、休み時間には会話本を指差しながら、仕事の段取りについて話し合いを行い理解を深めたそうです。
そして 終了時間近くになると 外国の軍隊の隊員はイラク人を残してさっさと帰るのに対して
自衛隊員は イラク人に対して 「あとは自分たちでするから君たちは帰りなさいと」言ったのです。
意気に感じたイラク人の多くは終業時間の5時を過ぎても、まだ隊員と一緒に働いていたそうなんです。
番匠一佐率いる自衛隊の活動に感動を覚えます。
番匠一佐にはサムライの心があったのですね。
そしてこれが 大和心なんだと気がつかされました。
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