EXECUTIVE BLOG
2024.12.13
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは国体護持についての話しでした。
昔からずっと変わっていない国の形こそ、すなわち「国体」という意味だと
言う事なのです。
ただ
天皇が政治や軍事を握ってすべてを動かす…というのは
かなり昔の時代の鎌倉時代前後で終わり、
それ以降はずっと天皇は権力は持たず、国民全体からは象徴的な存在として敬われてきてました。
今の憲法では「天皇は日本の象徴」であると定められていますが、
戦前の大日本帝国憲法では「国の主権者」であると定められていました。
これを「天皇主権」というような言い方をすることがあり、
この言い方をしたときには「国民主権」は同時に成り立たないと言う事になりますね、、、。
だれが権力を持つか?という問題で、
天皇が持つか、国民が持つか、ということが相反する事になります。
戦前は国民主権だったか?というと、「それは違う」ということになりますが
一方で、戦前が天皇中心主義であったことには間違いないと思います。
いずれにしても
戦前も天皇中心主義で、戦後も天皇中心主義ですから、
国体には変更はないと言う事になるのです。
ただし、
太平洋戦争に負けてアメリカの占領を受けたことで
「誰が権力を持つか?」については大きな変更が行われることになったというわけで、
ここで天皇主権から国民主権に変わったと言う事になるのです。
ただし、戦前の「天皇主権」であっても、その実態については、実は今も昔もさほど変わりはなかったといえます。
戦前の大日本国憲法では、天皇は「国の主権者」ということに言葉上はなっていました。
しかし、
その実態はというと、政治については内閣の言うとおりにしか動くことができず、
軍事については陸軍と海軍の言うとおりにしか動けない存在だったのです。
これは、
現在の国民主権の天皇のあり方とそれほど変わらないということを理解する必要があります。
戦前であっても
選挙で国民の代表を選び、その中から内閣総理大臣を選ぶという形が機能していたわけですから、
戦前も限定された形で国民主権が実質的に始まっていたといえるのです。
ただし、
昭和も中期以降になり、軍隊の力が強くなってくると、
国民に選挙でえらばれていない軍の有力者が内閣総理大臣になるという形が継続するようになってきます。
このときには国民主権は大きく後退していた、ということができるでしょう。
昭和の軍部は 天皇が直接命令をしない事をいいことに
自分達が 好き勝手な仕組みに仕立てていったと思うのです
その元凶を作ったのが 先日書いた 山縣有朋だったと言う事になるのではと
思います。
では戦前、
天皇があえて権力を握ろうとしなかった理由は何故だろうとの疑問もわきますね
その話は?????
明日へ続く、、、、。