
EXECUTIVE BLOG
2024.12.16
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは 神国日本の話しから 神州不滅の話しになってしまいました。
この神州不滅は
「神州すなわち日本は神の国で不滅である」との意味で、
日本では水戸学の尊王論などに見られ、特に昭和から太平洋戦争終結までは軍部によるスローガンとしても使用されていました。
では この水戸学の尊王論を説いたのは、水戸藩の藤田東湖と言う人物です。
彼の主義は 「神州誰君臨、万古仰天皇」なのです。
江戸時代末期に水戸藩で藤田東湖は「神州誰君臨、万古仰天皇」を説いていたのですが、
「支那」すなわち今の中国は、は革命を主体とする国家で王朝交代があるので
「正気観念」にも変動があるが、
日本は万世一系の皇室を頂いて永遠に変わらないので
「正気観念」にも変動が無く、
そこに日本民族の特徴がある説いていたのです。
藤田東湖の言う所の「正気」とは、
一般的には道義、特殊的には忠義を意味するものと考え、
更に「正気」の粋を集めた「神国日本」のその皇風が世界に広がり、
皇室の御聖徳は太陽にも等しいと説いていたのです。
藤田東湖の「正気歌」は吉田松陰や、明治の広瀬武夫にも影響を与えたそうです。
平田篤胤の思想と、この水戸学の勤皇思想が混ざり、
幕末に「神州不滅」の思想が巻き起こったと言われております。
この正気歌 歌と言っても漢詩の いわゆる詩吟です。
探してみましたら このようなモノが見つかりましたので
お聴きください
参考
https://youtu.be/2to4jDeDjWw?si=0QfCc0xhMsWCA2j7
この様な 漢詩を作れる事にも私は驚くのですが、、、、
漢文は苦手です、、、。
が
簡単に 前半部分を訳してみますと
「天地に満ちる正大の気は、粋を凝らして神州日本に集まり満ちている。
正気、地に秀でては富士の峰となり、高く大いに幾千年もそびえ立ち、
流れては大海原の水となり、あふれて日本の大八洲をめぐる。
開けば、幾万もの枝に咲く桜の花となり、ほかの草木の及ぶところではない。
正気、凝れば、百度(ひゃくたび)鍛えし日本刀となり、切れ味鋭く兜を断つ。
忠臣いずれもみな勇士。武士ことごとく良き仲間。
神州日本に君臨されるはどなたか。太古のときより天皇を仰ぐ。
天子の御稜威(みいつ)は、東西南北天地すべてにあまねく広がり、
その明らかなる御徳は太陽に等しい。
世の中に栄枯盛衰の絶えることはない。時に正気が光り輝く。、、、、、、」
となるようです。
まあ このような 尊王論を 水戸藩の 藤田東湖が説くのですが
水戸藩と言えば 徳川御三家ですよね
しかも ドラマでは良く聞く 天下の副将軍の立場です。
先にも書きましたが 戊辰戦争の時に 薩摩藩が 錦の御旗 すなわち天皇の印を掲げて
一気に幕府軍を倒すわけです。
国体護持の話しも書きましたが 日本は天皇を中心に成り立っていた国です
その天皇は 決して自らは権力を持たなかったのですが
簡単に言うと 徳川幕府より天皇の方が偉いんだぞ とうような考えを
徳川のお膝元の水戸藩が 出していくのです。
なぜ 徳川親藩の水戸藩から 尊王攘夷論が出て来たのかに興味が湧きますね
一方で 徳川将軍家の用心棒的な組織に新選組がありましたが
そこの 初代筆頭局長の 芹沢鴨は もともと水戸藩です。
このような過激な 親徳川派もいたのですから
当時の水戸藩は どのような体制だったのか?????
等の話は
明日へ続く、、、、
のか????