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社長&顧問ブログ

2024.12.17

水戸藩

高光産業株式会社 妹尾八郎です

昨日からの続きです。

 

昨日までは 神国日本の話しから

神州不滅の話になってしまいました。

 

この神州不滅の言葉が 昭和に入って軍部が多用し

日本は 神の国だから絶対に負けないと 必ず神風が吹く事を兵士や国民に対して

鼓舞していました。

 

しかし 一向に神風が吹く事がなく それではと言う事で

攻撃作戦としては無能ともいえる 神風特別攻撃隊を編成して 若き兵士を

敵艦に向けて突撃させたのでした。

 

神風特攻隊の話は 又後ほどでと言う事で

 

今日は 徳川御三家の水戸藩で この神州不滅の理論が構築されて行った話に

進まなければなりません

 

先ず幕末に多くの志士が口にしていた「尊皇攘夷」という言葉についてです。

 

改めて言葉の字義にしたがって解釈してみますと、

皇は天皇。攘は「打ち払う」という意味で、夷とは「えびす」で野蛮な外国人のことです。つまりは尊皇攘夷とは天皇を尊び、外国人を追い払うことになります。

 

幕末、この尊皇攘夷の思想が多くの志士たちを過激な運動へと駆り立て、

結果歴史を大きく動かすことになったのです。

 

幕末の日本人の根底には日本に迫り来る西洋列強に対する恐怖、危機意識がありました。

特に1810年代になると、

アメリカの捕鯨船が房総から東北、岩手沖ぐらいまでの太平洋に出現するようになったのです。

 

それ以前は外国船といえば、西から東アジア廻って来てたのです。

それが

この太平洋に外国船が現れるようになったというのも日本、特に太平洋側の諸藩にとっては脅威になってきたのでした、、、。

 

その事から どうして 尊王攘夷の考えが出て来るのか??

の前に

おさらいで 水戸藩について少し、、、、

 

 

水戸藩は他藩と違って非常に特色ある藩だったのです。

 

水戸藩は徳川家御三家でした、しかし尾張、紀州の藩主は大納言なのに、

水戸の藩主は中納言。

つまり水戸藩の朝廷からもらえる位は他の御三家より低かったのです。

 

水戸藩主は参勤交代はありませんでしたね、、

「副将軍」という正式ではない称号を名乗って、江戸定府と言う事で

常に江戸に滞在する必要があったのです。

 

参勤交代はしなくて良いが、江戸定府がゆえに他藩よりも江戸で抱える家臣がたくさん必要であり、江戸での交際費も非常に多くかかってしまっていたのです。

にもかかわらず、江戸が攻められれば、水戸藩は将軍家の盾になることを求められていたのでした。

 

このように非常に負担が重いのに、尾張や紀州より石高も低いにも関わらず

経済力に比する政治的・軍事的負担率が江戸時代の諸藩の中でも際立って高く、

その財政はいつも火の車だったわけです、、、

 

この事が

原因で あの方が これはおかしいと考え始めます

 

それは 誰で 何を??

 

の話は 明日へ続く、、、。

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