EXECUTIVE BLOG
2024.12.19
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは 水戸光圀公である黄門様の話しでした。
黄門とは 位の 話だったのです。
さて 水戸藩が何故 尊王攘夷思想になったかの 話に進まなければなりません。
が
またまた 話が進まず
やはり水戸黄門と言えば 勧善懲悪が魅力で
何と言っても最後にいつものフレーズで「頭が高い 控えおろう」と大声を出しながら
印籠を差し出すと悪代官が 驚き土下座するシーンはいつ見ても楽しいですね、、
でも ここで 不思議に思う事がありませんか?
単に 控えろ! 控えろ! と言えば良いものを 控えおろう と言うのは
何故か??? と
「控えおろう」は「控えておられよ」を早口で言うとなる口語で、
控えておられよ⇒控えて居られよ⇒控えて居なさい、という意味になるようです。
そして その言葉と同時に出す 印籠ですが これが何か??ですが、、
黄門様の印籠は警察手帳のようなものではなく、3段に別れた携帯用の薬入れですね、
「印籠」という名前の通り、もともとは印鑑や朱肉を入れて持ち歩くためのものでした。
薬入れのほうは「薬籠」と呼び区別していましたが、江戸時代には両方とも「印籠」と呼ばれるようになっていました。
ただし 黄門様が見せる印籠には当然徳川家の家紋が入っていたのです。
悪人たちは徳川家の家紋にひれ伏したという事になりますね、
それくらい徳川の威光が強いのですが それを上回ったのが 戊辰戦争の時の
錦の御旗の 菊の御紋でしたね、、、
後に これが 水戸藩の尊王攘夷の話しに繋がるのですが、、、、
先ず
ドラマでは 控えおろうの 後に続く 決め文句は 「さきの副将軍~~、、、」 と
続きますね
この副将軍とは何か? そして 副であるならば 正しい将軍は誰だった?は
なかなか知らないかもしれませんね、、
この時の将軍は、5代目の徳川綱吉なのです。
1700年12月6日に水戸黄門として知られる水戸藩2代目藩主、水戸光圀公は
73歳で死去しました。
名君の誉れ高い光圀は、将軍の補佐役として「天下の副将軍」と呼ばれることもありましたが、
当時、実際には「副将軍」という幕府役職は存在してませんでした。
この呼び名がついたのには理由があるのです。
光圀の実際の位は「従三位」で官職が「権中納言」と言います。
先にも書きましたが、「黄門」とは中納言の唐名のことです。
水戸藩主は常に徳川将軍のそばにいる家柄ということで、
いつしか「天下の副将軍」と称されるようになったそうです。
そして この水戸光圀公は引退後『大日本史』の編纂に着手するのです。
資料を求めて「助さん」「格さん」のモデルとなった家臣を諸国へ派遣したエピソードから「光圀公が諸国を漫遊して悪を懲らしめる」という講談が生まれたそうで、
時代劇の定番ヒーローとして語り継がれるようになったと言うわけです。
で ここで 重要なのが 大日本史 なのです
これに アレに繋がる話が、、、、、
の話は
明日へと続く、、。