EXECUTIVE BLOG
2024.12.21
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは テレビドラマ「水戸黄門」は 松下電機の一社提供で放映されていたと言う話でした。
話しが 逸れてしまってなかなか戻りませんね
毎朝寝ぼけながら 書いているので 内容もいい加減ですが
今朝も なんで 水戸黄門の話になっているのか?? と
考えていましたら
明治維新以降 日本は 神州国と言う事で 軍部は 神州不滅を合言葉に
戦争に負けるわけがないと 破滅に近いまで戦争を継続し
それでも最後まで 国体護持を主張しました。
おかげで 戦後の日本は 大日本帝国時代とは違う形で 天皇は残る事ができ
国体は護持されたと考えて良いのではと思います。
この神州国を唱えていたのが 水戸藩だったと言う話から
水戸黄門の話が続いていたのだと 今 思い出しいました。
で この話に続かなければなりませんが
昨日の続きもありますね
さて江戸時代は
きわめてざっくりと分けてしまえば、天領か大名領かの何れかでした。
天領は幕府直轄地で、幕府が直接治める地であり、ここにいるのはいわゆる幕府が任じた代官で、
一方で大名領地は、徳川家との関係、幕府への貢献度合などから幕府に領地を治めることを許された大名家が治める土地でしたね。
幕府に近しい順に親藩、譜代、外様となっておりますが、
いずれもそれぞれ大名家がやはり代官をあちこちに配して治めておりました。
つまり、日本全土の実行的支配権を徳川宗家の江戸幕府が握っている時代だったわけです。
水戸黄門のご威光というものは、それは強いものでありました。
なぜなら、天領であった場合には言うに及ばず、大名領地であったとしても、
その大名たちの中で徳川幕府に逆らえる者など存在しない程の力の差があり、
幕府に従属している関係でしたので、
詰まるところ権力を傘に着て悪事を働く者たちの拠り所となるその権力が、
すなわち最終的には徳川江戸幕府の力であり、
ゆえにご老公の身分を表す印籠は全国何処でも効果があると言うのが
ドラマでの黄門様でした。
ところが、ごく稀に印籠を見ても全く意に介さない悪しき権力者が登場すのです!!
江戸時代における武家主導の実行支配体制を鑑みるに、
上の者と言えば将軍家に、他の御三家当主たちと数えるほどですが、
それだけの考えの枠には嵌らない高位者が存在していたのです。
それらの代表的存在が、天皇と、天皇を中心とする公家と言うわけです。
そもそも、如何に実行支配力を持っていたとしても、
徳川宗家とて我が国においては天皇の臣下であり、水戸光圀とてまた例外ではないのです。
徳川宗家が戦国の世を経て覇者となるよりもはるか昔より、
我が国は朝廷により治められてきておりましたし、
鎌倉時代以降、長きにわたり武家の政治的独立に伴う複雑な二元政治的流れを形作りながらも、
少なくとも形式の上では変わるものではなかったためです。
ドラマでは
このような印籠に屈しない悪しき権力者の例は数回あった様なのですが、
その中のひとりに、一条三位という公家がおりました。
印籠を見せられても屈するどころか薄笑いを浮かべ、
『麻呂は帝の臣であり、徳川の家来ではおじゃらん!』
と光圀たちに言い放つシーンがあります。
水戸黄門は フィクションですから このような事は実際なかったのですが
水戸光圀自体が、、、、、、
の話は
明日へ続く、