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2025.1.6

飛鳥から奈良平安へ

高光産業株式会社 妹尾八郎です

昨日からの続きです。

 

昨日までは 今でも続く 正月での行事の多くは

平安時代に始まったのが多いと言う話でした。

 

平安時代の前は奈良時代 その前は飛鳥時代と言われていますが、

改めて 飛鳥から奈良 奈良から平安と時代が変わってますが

これは 後世の人が決めた区分であって 当時の人々は

自分が 何時代なのか? など意識してなかったと思います。

 

貴族たちは 天皇陛下によって時代を認識していたかもしれませんが

多くの人は ずっと 同じ事が繰り返されているとしか 認識してなかったのでは

ないでしょうか?

 

それでも 朝廷関係の人々は 中国から入った暦により 新年は把握していたようで

平安時代には 新年の儀式は執り行われたいたようです。

 

では 後世の人は 何をもって 飛鳥時代 奈良時代 平安時代と 区分していたかと言うと

私は 学生時代に殆ど日本史の勉強をしていませんでしたから

これらの時代区分について 何の興味もありませんでしたが

 

これらの区分は どこに都があったのか?? で区分されていたのですね

 

簡単に言うと 飛鳥時代は藤原京 奈良時代は平城京 平安時代は平安京 と言う

都があり その 都の置かれていた時代を一応の区分としているのだと思います。

 

ただ ここで 飛鳥に関しては 不思議な事があります

 

古来、天皇の住居の「宮」は一代限りで移転するのが習慣となっていたようです。

なぜ頻繁に遷都を繰り返すのかに関してはいくつもの説がありますが、

当時「死」は穢れであったという説が有力とされています。

 

皇族や権力者が逝去する際には、その怨念が生きた人間に祟りをなすとされ、

これを手厚く祀って祟りを鎮めるのですが、

それだけではなく怨霊の居場所から逃げるのが最良だとされたのです。

 

聖徳太子が摂政を務めた推古天皇以降の飛鳥時代は、

ほとんどの天皇は飛鳥地方に宮を置きましたが それでも6回も都を変えているのです。

その六か所と天皇の関係は

①皇極天皇・明日香板葺宮

 

②孝徳天皇・難波長柄豊崎宮

 

③斉明天皇・飛鳥宮

 

④天智天皇・近江大津宮

 

⑤天武天皇・明日香浄御原宮

 

⑥藤原京・持統天皇

 

です。

 

そしてこの藤原京までの時代を飛鳥時代と呼んでいるのです。

 

藤原京は690年に着工して、4年後に飛鳥浄御原宮から宮を遷した本格的な都です。

それまで天皇即位のたび、あるいは一代の天皇に数回の遷都が行われていましたが、

この藤原京では三代の天皇である持統・文武・元明天皇に続けて使用されたのです。

そしてこれが藤原京のこれまでにない大きな特徴だとされています。

 

藤原京完成から4年後の708年に元明天皇によって遷都の勅が下されて、

710年には平城京に遷都され、

これからが いわゆる奈良時代の始まりと言う事になるのでね、、、。

 

 

藤原京から平城京に遷都する際には、建築物の多くの材料である屋根瓦・柱などを

再利用できるものを分解して運び、また組み立てたといわれています。

 

藤原京から平城京までは徒歩で約5時間ほどの距離ですが、

この大掛かりな物流を行うためには膨大な人手が必要だったと想像できますね、

 

われわれが良く知っている人物である 聖徳太子も飛鳥時代の人です

この時代に 色々な決まりごとが出来て行き

 

次の時代である 奈良 平安で 確率していく事になるのですね、、

 

ところで、飛鳥時代 奈良時代の都は 今の奈良市あたりですが

何故 平安京は都を 今の京都に移動したのでしょうか???

 

その訳は????

 

 

明日へ続く、、、。

高光産業株式会社 公式サイト

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