EXECUTIVE BLOG
2025.1.9
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは 奈良時代から平安時代の話しで
京都に都を移したはなしでしたが
この頃の話は 日本史をあまり勉強してない私にとって かなりチンプンカンプンの
所があります
とにかく 人が苦しんだり 死んだりすると 誰かの祟りとしてしまっていた時代のような気がします。
科学が発展してない時代ですから 祟りだと決めつけるのが簡単なんだろうと思います。
まあ しかし なんとか思い出してみますと
戦争が無かった時代とは言え 奈良時代も平安時代も生臭い話は多かったのは事実ですね
しかも それが 権力争いや妬み僻みが絡み
早良親王も 天皇の座を狙ったとかの件で 死に追い込まれ その後 不可解な出来事が起きると 全て 早良親王の祟りとしてしまっていたのですよね、、
で 平安時代の話は これくらいにしておきたいのですが
最後に 桓武天皇に遷都を進言した和気清麻呂の話しです、、、。
とにかく 奈良時代は仏教勢力が強い時代だったのは間違いないかと思います。
桓武天皇にとって和気清麻呂は、単なる臣下ではなく、信頼できる補佐役でした。
清麻呂は政治的な知識と判断力に優れ、天皇が抱える課題を的確に分析し解決策を提案しまして、遷都に関する進言も行いました。
桓武天皇は、奈良時代末期の仏教勢力の干渉や災厄の続発に悩んでいました。
清麻呂は、こうした問題を解決するためには新しい都が必要だと考え、天皇に提案したんですね、これが後の平安京建設へとつながります。
和気清麻呂の名を広く知らしめた出来事のひとつが、道鏡事件です。
道鏡は当時、僧侶でありながら天皇に近い地位に就き、国家の実権を握ろうとしていたのです。
一部の勢力は、道鏡を天皇の座に据えようと画策までしていたのです、、。
これに対し、清麻呂は
「天皇の地位は皇族が継ぐべきであり、僧侶が権力を握るべきではない」
と反対しました。
清麻呂は宇佐神宮に赴き、神託を受けたとされる文書を持ち帰り、
道鏡の野望を阻止したのです。
この勇気ある行動により、桓武天皇を含む皇室の信頼を一層深める事になったのです。
とにかく、和気清麻呂は、道鏡の野望を阻止するために宇佐八幡宮で神託を受けるという危険な使命を果たすことで
天皇の座を皇族が継ぐという原則が守られ、国家の安定が保たれる事になったのです。
まだ この頃は 天皇の座を奪おうとする人間が居たのは事実ですね
これ以降 天皇は代々皇族が継いでいくのですが
この皇族同士の争いが
その後 鎌倉時代の後に 起きて来ますね
明日は
鎌倉時代へと進めるのか???
一気に 皇族同士のあの戦いの話しになるのか????
それとも
ITの話にいきなり逸れるか???
は
明日へ続く、、。