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社長&顧問ブログ

2025.1.26

アメリカ合衆国名誉勲章

高光産業株式会社 妹尾八郎です。

昨日からの続きです。

 

昨日までは ホノルル国際空港が ダニエルKイノウエ国際空港と名称変更になった

話しでした。

 

その背景に 彼が第二次世界大戦中にヨーロッパ戦線で大活躍を行った事に起因しています

そして その後も数々の勲章を手にしていますが、

ダニエル・イノウエが得た勲章の中でも最も名高いのは、

アメリカ合衆国名誉勲章(Medal of Honor)なのです。

これはアメリカ軍人に授与される最高の栄誉であり、

その重みは他のどの勲章とも比べ物にならないと言われております

 

この名誉勲章は、

戦場で「目覚ましい英雄的行為」や「並外れた勇気」を示した者に与えられる勲章です。

その授与は非常に厳格で、数多くの証拠や証人による検証を経て、

アメリカ大統領が直接授与するのです。

そのため、受章者は非常に少なく、全軍の中でも特別な存在として歴史に名を刻むのです。

 

ダニエル・イノウエは、第442連隊戦闘団として第二次世界大戦中のイタリア戦線で驚異的な勇気を示したのですが、

特に1945年4月21日の戦闘で、彼は負傷しながらも単独で敵の陣地に突撃し、

仲間の進軍を支援しましたのでした、

この戦闘中、ナチスによる機銃掃射で手りゅう弾をもってうた右腕が引き千切れるのですが

その手りゅう弾を持ったままの右手を、左手で持って投げ続けるのです。

その後も 左手一本だけで 手りゅう弾を投げて敵陣地を制圧するという驚異的な行為を成し遂げたのです。

 

通常の精神であれば 右腕が吹きとばされた瞬間に気絶してしまうと思います。

それを気丈に 残った左手で 手りゅう弾を握ったままの右腕ごと敵に投げるなど

尋常ではないと思いますが、 彼は ハワイに残された日系人の為に命懸けで戦ったのです。

この行為により、当時は「殊勲十字章(Distinguished Service Cross)」が授与されましたが、後年の再評価を経て2000年に名誉勲章が追授される事になったのです。

 

名誉勲章を授与された者は、単なる英雄ではなく、

軍や国民の精神的支柱ともいえる存在なのです。

この勲章は、授与された者の勇気と献身を称えるだけでなく、

彼らが命を懸けて守った自由や平等という価値観の象徴でもあります。

イノウエの名誉勲章は、彼自身の勇敢さだけでなく

日系人全体の名誉と貢献を示すものでもありました。

そのおかげでハワイでの日系人の地位が向上した事は言うまでもありません。

 

ダニエル・イノウエが名誉勲章を受けたことは、

単に個人の偉業を称えるだけではなく、

それはハワイ以外でも当時差別や偏見に直面していた日系人が

アメリカ社会に果たした役割を認識し、評価する一歩でもあったのです。

 

イノウエは自身の受賞を誇りに思う一方で、

これを「多くの仲間たちの犠牲の象徴」として謙虚に受け止めていました。

 

彼の名誉勲章は、戦争の中で失われた多くの日系人の命や、

偏見を乗り越えた彼らの努力の証として、アメリカの歴史に深く刻まれています。

その重みは、個人を超えて社会全体に響くものであり、

今日でも彼の勇気はハワイだけでなく全米で語り継がれているのです。

 

明日は イノウエが所属した日系人部隊とは????

の話に

続く、、、。

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