EXECUTIVE BLOG
2025.1.30
高光産業株式会社
妹尾八郎です。
昨日までは ハワイ州の州の旗についての話しでした。
日頃注意してみない限り なかなか気が付かない事が多々あります。
当たり前と思ってみるのでなく その意味まで考えて見ると
頭の訓練にもなると思って 日頃からそのように心がけています。
で今日も ハワイネタの続きになりますが
ハワイに旅行に行かれた方の多くは カメハメハ大王の銅像をご覧になっていると
思います。
ここで 興味が湧いたのが、
カメハメハ大王はなぜ「王」ではなく「大王」と呼ばれるのか? だったのです。
歴史の中には、「王」と呼ばれる人々が数多く存在しますが、
「大王」という称号が付けられるのは非常に稀なケースですね。
その中でも特に有名なのが、ハワイ王国の初代国王として知られるカメハメハ大王です。
しかし、なぜ彼は「カメハメハ王」ではなく「カメハメハ大王」と呼ばれるようになったのでしょうか?
まず、「大王」という言葉には特別な意味が込められています。
「王」が単に一国の君主を指すのに対し、
「大王」は歴史的、文化的、または偉業において他の王たちを凌駕する存在として用いられることが多いようです。
日本では、
例えば聖徳太子の父である用明天皇が「用明大王」と記録に残っていますね、
この称号は特別な威厳や功績を示すもの言われているのです。
カメハメハ大王が「大王」と呼ばれる理由は、その人生における数々の偉業にあります。
彼の功績の中でも特筆すべき点として
彼はをハワイ諸島の統一をしました。
18世紀後半から19世紀初頭、カメハメハはハワイ諸島で分立していた複数の王国を統一し、初めて一つの国家を築き上げたのです。
この統一は戦略、外交、そして卓越したリーダーシップの賜物であり、
彼の名声を不動のものとなったのです。
又当時、ハワイは西洋列強国による植民地化の脅威に直面していました。
カメハメハ大王は、巧みな外交を駆使してハワイの独立を維持し、
西洋の影響を受けつつも自国の文化を守り抜いていたのです。
更に彼は「ママラホエの法」と呼ばれる法を制定し、
一般市民や戦争中の非戦闘員を保護することを宣言しました。
この先進的な法は、平和と正義の象徴とされ、現代に至るまで語り継がれているのです。
実はカメハメハは生前、自分のことを「大王」と名乗っていたわけではないのです。
この称号は日本や西洋の歴史家たちが彼の功績に敬意を表して後世につけたものだと言われているのです。
日本語で「大王」と呼ばれるようになったのは、彼の壮大な統治や統一の偉業を強調するためであり、彼の存在が単なる「王」以上の特別なものであることを示すためなのです。
ハワイ語では単に「Kamehameha」と呼ばれますが、
日本語ではその偉大さを表現するために「大王」という尊称が付けられたのです。
カメハメハ大王は、単なる「王」ではなく、歴史的に見ても稀有な存在であり、ハワイの礎を築いた偉大な指導者でした。「大王」という称号は、その偉業と人格をたたえるための特別な呼び名であり、彼の遺した影響力の大きさを物語っているのです。
ハワイの青い海と空の下で育った彼の伝説は、
今なおハワイの人々の誇りとして語り継がれています。
そして、「カメハメハ大王」という名は、
彼の偉大さを象徴する特別な響きを持ち続けているのです。
因みに 「ママラホエ(Mamala Hoe)」を直訳すると、
Mamala(ママラ)=「折れた」「壊れた」
Hoe(ホエ)=「櫂(かい)」「パドル」
となります。
何故これが 法となるのか???
その訳とは???
は 明日に続く、、、。