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社長&顧問ブログ

2025.2.3

パールハーバー

高光産業株式会社

妹尾八郎です。

 

昨日までは ハワイ王朝の話しから

日系人移民についての話しでした。

 

ハワイは 日本人にとっても馴染ふかく 毎年多くの日本人が

訪れていますね。

 

そのハワイと言えば 思い出すのは

太平洋戦争開戦時 日本軍がハワイの パールハーバーに奇襲攻撃をした事ですね、

 

この時の日本軍の 攻撃開始における 暗号文が

「ニイタカヤマノボレ」で

奇襲攻撃の成功を報告する暗号文が

「トラ トラ トラ」で 我奇襲ニ成功セリを打電したのです。

 

これから 日米は本格的な戦争が開始されるのです。

 

この時 ハールハーバーにあった 戦艦アリゾナは いまでも海中に眠っており

そこに 記念館があり 多くの観光客が訪れます。

私も そこに行った事がありますが 他に日本人を見かけませんでした。

なかなか行き難い場所かもしれませんね、、

 

では そのパールハーバーを アメリカ人はどのように捉えているのでしょうか?

に ついての話に進みます。

1941年12月7日、ハワイのパールハーバーが日本軍の奇襲攻撃を受けたましたが、

この出来事は、アメリカにとって単なる歴史の一コマではなく、

今でも強く記憶に刻まれていると言われています。

 

パールハーバーは、アメリカが第二次世界大戦に参戦するきっかけとなった出来事だったのです。

アメリカでは、「リメンバー・パールハーバー(パールハーバーを忘れるな)」という言葉が広く知られており、これは単なるスローガンではなく、当時の衝撃と怒りを象徴しているのです。

この攻撃によって、2400人以上のアメリカ軍人と民間人が亡くなり、

多くの戦艦や航空機が破壊されました。

これにより、当時あった戦争への反対ムードが一変し、

多くのアメリカ人が「戦わなければならない」と決意することになったのです。

つまり、パールハーバーは単なる軍事的な出来事ではなく、

「突然の攻撃によってアメリカが戦争に引きずり込まれた」という強い印象を残した出来事だったのです。

その後の話は 又の機会にするとして

奇襲攻撃から時間が経つにつれ、パールハーバーに対するアメリカ人の見方も変わってきたのです。

戦後、日本とアメリカは同盟国となり、経済的にも文化的にも強く結びついていますね。

 

特に戦後生まれの世代にとって、

日本は「かつての敵」ではなく、「信頼できるパートナー」として認識されてきているようです。

 

毎年12月7日には、パールハーバーの追悼式典が行われますが、

日本の首相が訪問し、アメリカ側と共に犠牲者を悼む場面も見られるようになりました。

 

2016年には、当時の安倍晋三首相がオバマ大統領とともにパールハーバーを訪れ、

「和解の象徴」として世界に強いメッセージを発したことも記憶に新しいかと思います。

 

アメリカ人にとってパールハーバーは「忘れられない歴史」であることには間違いないと

思います。

しかし、そこから得た教訓を未来に活かそうとする姿勢もあるのです。

特に教育の場では、「敵意を持つこと」よりも、「歴史を学び、平和を築くこと」の重要性が強調されているようです。

 

パールハーバーは、アメリカ人にとって「戦争の悲劇」として記憶されつつも、

時代とともにその意味は変化しているようです。

過去の敵が今では最も強い同盟国となったように、

歴史をどう受け止め、未来にどう活かすかが大切なのかもしれませんね。

今後も、

歴史を学びながら日米の関係がさらに良い方向に進んでいくことを願いたいとおもいます。

 

歴史に もしも はありませんが

 

もしも あの時 日本が、、○○していたら、、、、??

 

世界の歴史はどう変わったのか???

 

の話は

 

明日へ続く、、、、。

高光産業株式会社 公式サイト

https://takamitsu.com/

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