EXECUTIVE BLOG
2025.2.10
高光産業株式会社
妹尾八郎です。
明治維新といえば、
薩摩藩と長州藩が主導し、幕末の混乱を経て新政府を樹立した歴史的転換点でしたね。
しかし、もしこの流れの中に我が福岡藩が深く関わっていたとしたら、
日本の近代化、さらにはその後の歴史の進み方は大きく変わっていたかもしれません。
今日も もしも 我が福岡藩が、、、、の話に、、、。
福岡藩(黒田家)は、江戸時代を通じて九州北部の要衝を守る大藩であり、
財政や軍事力も決して小さくはありませんでした。
しかし、
幕末期の動向では比較的穏健で、薩長のような過激な尊王攘夷運動には
積極的に加わることはありませんでした。
もしも
福岡藩が薩摩・長州と並ぶ維新の主力勢力となっていたならば、
薩長の独走を抑え、よりバランスの取れた政権運営が行われた可能性があるのではと思います。
例えば、
福岡藩が主導に関与していれば、九州や西日本全体でより広範な合議体制が形成され、
薩長による急進的な中央集権化が抑えられたかもしれません。
その結果、大久保利通らが推し進めた富国強兵政策がより地方分権的な形で進み、
日本の近代化の道筋が違っていた可能性があります。
薩長主導の明治政府は、軍事力を背景にした強い中央集権国家を築きました。
特に長州閥が陸軍を牛耳るようになり、昭和期に至るまで軍部の影響力は増大していきます。しかし、
福岡藩のようなバランス感覚のある藩が主導的立場を占めていれば、
軍部の独走を抑え、政治と軍の関係性が異なる形で発展していたかもしれません。
もし軍部の影響が限定的であれば、昭和期の軍国主義が極端に進むことなく、
戦争への突入やその終結の仕方も異なった可能性があります。
外交がより重視され、戦争の規模を抑える動きがあったかもしれませんし、
また敗戦の際にもより早い講和が模索され、
原爆投下や無条件降伏という形を回避できた可能性も考えられるのです。
もしも、福岡藩が明治維新において主導的な役割を果たしていたならば、
日本は軍事一辺倒ではない、もう少し柔軟な近代国家として発展していたかもしれません。その結果、昭和の軍国主義の台頭や太平洋戦争の結末も変わり、
より穏やかな道を歩んでいた可能性がありますが、
もちろん、歴史のIFはあくまで仮定の話ですが、
このように考えることで、現在の日本のあり方や今後の進むべき道について、
新たな視点を得ることができるのではないでしょうか。
と
半分 福岡藩礼賛の事を書きましたが
実は 我が福岡藩はとんでもない事をしでかしていて 日本を救う藩になるどころか、、
では
何をしでかしたのか????
の話は?????
明日へ続く、、、。