EXECUTIVE BLOG
2025.2.12
高光産業株式会社
妹尾八郎です。
昨日までは 福岡藩が 幕末に絡んでいたらどうなったのかの話しから
その 福岡藩が 藩をあげて 偽札つくりを行っていたと言うあり得ない事を
仕出かして 新政府から距離を置かれていたと言う話でした。
さて 昨日は 建国記念の日でした
今日はその話題に、、、。
毎年2月11日は「建国記念の日」として、日本の祝日となっていますね。
この日がどのようにして定められたのか、その経緯を振り返ってみたいと思います。
この日は古くは「紀元節」として祝われた日だったのです。
建国記念の日のルーツは、明治時代にさかのぼります。
1873年(明治6年)、
政府は日本書紀に記された神武天皇の即位日(紀元前660年2月11日)をもとに、
「紀元節(きげんせつ)」という祝日を制定しました。
これは、日本の建国を祝う日として、戦前の日本では重要な祝日の一つとされていました。
紀元節は学校や公共機関で祝われ、全国的な行事が行われるなど、
日本の伝統を意識する日となっていました。
しかし、第二次世界大戦後の1948年(昭和23年)、
GHQ(連合国軍総司令部)の占領政策の一環として
紀元節を含む戦前の祝日は廃止されてしまったのです。
紀元節の廃止に対し、
日本国内では「日本の建国を祝う日を復活させるべきだ」との声が高まりました。
特に1950年代から1960年代にかけて、政治家や保守系団体が中心となり、
「建国の日を再び祝日にしよう」という運動が活発化したのです。
しかし、「神話に基づく紀元節を復活させるのは適切ではない」との意見もあり、
議論は難航しました。
そのため、「建国を祝う日」としての意義は残しつつ、
神話的な要素を明確に避けるために、
「建国記念日」ではなく「建国記念の日」とすることで、
祝日として制定することが決まりました。
単に の が入るだけで この様に意識を変えさせることが出来るのですから
日本語は不思議だと思うのですが
きっと この時も 優秀な役人が思いついたのではと思いますね、、、
こうした経緯を経て、
1966年(昭和41年)に「国民の祝日に関する法律」の改正が行われ、
2月11日が「建国記念の日」として正式に祝日となったのです。
そういう意味で
「建国記念の日」は、日本の建国そのものを祝う日ではなく、
「建国をしのび、国を愛する心を養う日」として制定されました。
そのため、「建国の日そのもの」という意味を持たせないよう、
「記念の日」という表現が使われているのですが、 詭弁とした思えません、、、。
現在、建国記念の日には各地で記念式典が行われます。
特に政府主催の式典では、日本の歴史や文化を振り返るとともに、国の発展や平和を願う場となっています。
一方で、建国の起源を神武天皇に求めることへの批判や、
歴史的な正確性を疑問視する声も一部にあります。
それでも、日本の歴史や伝統を意識する大切な機会として、
多くの人々に親しまれている祝日である事は間違いないと思います。
このように
「建国記念の日」は、もともと戦前の「紀元節」に由来し、
戦後の議論を経て「建国をしのぶ日」として再制定されましたね、
日本の成り立ちや歴史に思いを馳せ、国の未来について考える一日として、
これからも受け継がれていく事を願っています。