EXECUTIVE BLOG
2025.2.26
高光産業株式会社
妹尾八郎です。
昨日までは 陸軍の父と言われた大村益次郎の話しでした。
かれは 戦術の天才と言われていましたが、
時を同じくして 天才と呼ばれた男との話に進みます。
日本の近代化に大きな影響を与えた人物の一人に、
福沢諭吉がいます。
彼は『学問のすゝめ』の著者として有名であり、
また、慶應義塾の創設者として日本の教育改革に尽力しました。
そんな福沢諭吉には、
「戦火の中でも授業を続けた」
という驚くべき逸話があります。
これは彼がどれほど学問を大切にし、
それを通じて日本の未来を作ろうとしていたかを示す象徴的なエピソードです。
1868年に上野戦争」が起こりました。
これは、新政府軍と旧幕府の勢力が戦った戦いで、
上野に立てこもった彰義隊と、それを討とうとする新政府軍との間で
激しい戦闘が繰り広げられたのです。
当時、福沢諭吉が設立した慶應義塾は、芝新銭座にありました。
上野からは少し離れていたものの、戦の音ははっきりと聞こえ、
生徒たちは不安で落ち着かず、授業どころではなかったといいます。
しかし、
そんな中でも福沢は平然としていました。
そして、生徒たちが動揺しているのを見て、
「何を騒ぐことがある!学問を怠ってどうする!」と一喝し、
授業を続けさせたのです。
この言葉には、
「どんな状況でも学ぶことの大切さ」
を伝えたいという彼の強い信念が込められていたのです。
このエピソードからも分かるように、
福沢諭吉は学問を何よりも大切にしていました。
その理由は、
日本が西洋に追いつくためには、武力ではなく知識こそが必要だ」
と確信していたからです。
彼は若い頃、欧米に留学し、
西洋の進んだ文化や科学技術を目の当たりにしました。
そして、
「知識こそが国を豊かにし、強くする」
と考えるようになりました。
そのため、福沢は実学(実際に役立つ学問を重視し、
政治、経済、科学といった分野の教育を推進したのです。
彼の教育理念は、単なる知識の詰め込みではなく、
「学問を活かして社会をより良くすること」
を目的としていたのです。
福沢諭吉が「上野戦争の最中でも授業を続けた」という話は、
単なる頑固さや冷静さを示すものではありません。
これは、
「どんな状況でも学び続けることが未来を切り開く」
というメッセージを私たちに伝えているのです。
現代においても、社会の変化や困難に直面すると、
つい学ぶことを後回しにしてしまいがちです。
しかし、この逸話を思い出すと、
「どんなに忙しくても、困難があっても、学びを止めずに前に進むことが大切だ」
ということを改めて考えさせられます。
福沢諭吉の精神は、
今も私たちに「学問の意義」を問いかけ続けているのだと思います。
彼の残した言葉で あの有名な言葉がありますね、、、、
それは 何か????
は
明日に続くか???