EXECUTIVE BLOG
2025.3.4
高光産業株式会社
妹尾八郎です。
昨日までは 福沢諭吉と大隈重信の理論についてでした、、。
今日は 福沢諭吉の 脱亜論が 昭和の日本陸軍に影響を与えて 大陸に進出することになったのか? 違うのか??? について 進みたいと思います。
福沢諭吉が1885年に書いた『脱亜論』は、
日本が近代化を進めるためには、アジア的な古い価値観から抜け出し、
西洋の先進的な文明に学ぶ必要があるという主張が込められていました。
福沢は、清国や朝鮮が近代化に失敗している点を指摘し、
それらの国々から距離を置くべきだと論じていました。
この考え方は、日清戦争や日露戦争といった歴史的な出来事の中で、
日本が帝国主義的な拡張路線を歩む背景のひとつとなった事には違いないと思います。
しかし、
『脱亜論』自体が直接、
昭和期に台頭した軍国主義を導いたとは言い難いのではとも思います。
昭和陸軍の思想形成には、国家主義や皇国史観といった
「日本は特別な使命を持つ」という考え方が強く影響していました。
これにより、日本はアジアを主導すべきだとする大東亜共栄圏という構想が生まれたのです。
また、欧米列強の植民地主義に対する反発も、昭和陸軍の考え方に取り入れられました。アジアを「解放する」という名目で侵略を正当化する流れが見られ、
『脱亜論』とは異なり、アジアと完全に決別するのではなく、
日本が主導的な役割を果たすという発想へと変化していったのです。
さらに、昭和初期の経済不況や政党政治の問題とさらには世界的なファシズムの台頭
といった複雑な背景の中で、軍部は独自の路線を強めました。
特に、満州事変をきっかけに、
陸軍は政府や天皇の意向を超えて自らの判断で行動するようになり、
その過程で日露戦争以降の戦略論も強く影響していたと考えられます。
『脱亜論』は明治時代の近代化政策の一環として日本の国策に影響を与えたましたが、
昭和陸軍が展開した軍国主義的な思想や行動の直接的な要因とは言えないのではと思います。
昭和陸軍は、独自の国家観や国際観を発展させ、
「日本がアジアを主導する」という考え方を持つようになったため、
単に『脱亜論』だけを原因とするのは難しいと思うのです。
このように、日本の近代史や昭和期の軍事政策を理解するには
一つの思想だけでなく、さまざまな歴史的背景や国際情勢を考慮する必要がると思います。
歴史の複雑な背景について考えてみると色々興味が湧いてきます。
で 昭和陸軍と言えば 大きな出来事として あの事件を考えなければならないと思います、、、。
それは何か??????
は
明日に続く、、、、。