
EXECUTIVE BLOG
2025.4.7
高光産業株式会社
妹尾八郎です。
昨日までは 早稲田と慶応に関する話でした。
今日は 桜の話に戻る予定でしたが
ある方から
何故六大学野球の最終戦は 早慶戦と決まっているのか?? と
疑問の声がありましたので
今日は これに関する話になります、、、。
確かにどんなスポーツも 最終戦は 優勝を決める試合と決まっているのが
常識かと思います。
しかし六大学野球は 必ず早慶戦でリーグが終わりますね、、、
東京六大学野球といえば、毎年春と秋に神宮球場で繰り広げられる大学野球の事です。
その中でも、ひときわ注目されるのが「早慶戦」ですよね。
早稲田と慶應、この2校の対戦は、かつては学生スポーツの枠を超えた
“国民的イベント”といっても過言ではないほどの戦いでした。
ここで 多くのかたが疑問に思う事は
「どうして、優勝が決まっていても、早慶戦は必ず最後に組まれてるの?」
「早慶戦が、実は“最下位争い”だったことってあるの?」
だと思います。
関係者の話によりますと早慶戦は「ただの試合」じゃない、 と言う事に尽きるようです。
早慶戦の歴史は、なんと120年以上前の1903年(明治36年)に始まります。
まだ東京六大学リーグができる前、早稲田が慶應に試合を申し込んだのがきっかけで、
これが大好評で、すぐに大人気カードになったのです。
ただ、人気が出すぎてトラブルも発生したことがあるのですよ。
1920年代には応援合戦が過激になり、なんと5年間も試合が中止されていた時期もあるんです(1925年〜1930年)。
観客が暴れたり、応援団が衝突したりと社会問題にまで発展してしまたのです。
しかし、1930年に念願の復活を遂げた早慶戦は、
「もう二度と離れないでおこう」という想いを込めて、特別な存在として扱われるようになったのです。
では、なぜ早慶戦が最終戦に固定されているの?かですが、、
六大学野球のリーグ戦では、各チームが総当たりで戦い、
毎週末ごとにカードが組まれていきます。その中で、
毎年決まって一番最後に行われるのが「早慶戦」なのです。
優勝が決まっていようと関係なく、最後のカードとしてスケジュールに組み込まれてしまっているのです。
その理由と言いますと、「集客力」と「伝統」があるからだと言われています。
かつて早慶戦は、神宮球場を満員にできる数少ないカードでした。
新聞もテレビも取り上げてくれて、ファンやOB・OGの注目度も抜群だったのです。
優勝が決まっていない年は、まさに“優勝決定戦”としての熱さがありますし、
仮に優勝が関係なかったとしても「早慶戦だけは別」という文化が、
長年築かれてきたのです。。
早慶戦のすごいところは、順位に関係なく熱が入るところなのです。
たとえば、もう優勝の可能性がなくなったシーズンでも、
選手も応援団も「この一戦に勝てれば今季は成功」と思って本気でぶつかっているのです。
特に4年生にとっては、これが最後の公式戦になることも多く、
まさに「集大成」の試合となり、勝って笑顔で引退したい、
そんな想いが詰まっているんです。
だからこそ、応援席も異様な盛り上がりになります。
勝敗がどうであれ、見ている人に「やっぱり早慶戦って特別だなぁ」と感じさせてくれる、それがこの一戦の魅力だと言う事になるようです。
次にこの二校は
「最下位になったことってあるの?」との興味が湧きますね、、、
実はあるのです、しかも“最下位をめぐる早慶戦”も、実際に行われたことがあるんです。
たとえば2004年の春季リーグ。東大を除いた下位争いの中で、
慶應が5位、早稲田が4位という厳しいシーズンを送っていて、
最終カードの早慶戦は“ 東大には申し訳ないのですが、
どちらが東大を抜けるか”という事実上の最下位争いでした。
もちろん、東大が最下位常連だった時期が長かったので、
早慶が本当に最下位になることは少ないんですが、下位に沈んだことは何度かあります。
でも、それでもやっぱり早慶戦は不思議と盛り上がるんです。
「早慶戦に勝った」という誇りは、両校の人にとりましては一生の宝物になるくらいの
事なのです
熱狂と伝統が交差するこの一戦を、是非楽しんで頂ければ幸いです。
で 明日は 話が戻れるのか???
桜の話に続く、、、予定、、。