
EXECUTIVE BLOG
2025.4.14
高光産業株式会社
妹尾八郎です。
昨日までは 東大の赤門から 全国にある他の赤門の話になりました。
今日は 加賀藩の話に進む予定でしたが
先日 長崎に行った際に目にしたのが 赤寺と言うお寺でした。
少し興味を持ちましたので、
今日は この話に進みます、、、、、。
この通称赤寺は、長崎市の寺町にある「興福寺」です。
地元では「赤寺」の名で親しまれているのです。
この愛称の由来は、寺の山門に施された鮮やかな朱色の塗装にあります。
この山門は1690年に再建されたもので、
ひと目見ただけで記憶に残る美しさと迫力を備えています。
では、なぜこのような鮮やかな赤色が使われたのか?????。
ですが、、、。
それには中国文化と宗教的意味が深く関係しています。
赤は中国では古くから魔除けや幸福、繁栄の象徴とされてきた色です。
特に寺院や門などには悪霊を遠ざけ、清浄な空間を保つために朱色が使われることが多く、仏教的にも非常に重要な意味を持っています。
興福寺は1620年に中国の明僧・真円によって創建された唐寺であり、
その文化的背景は明らかに中国の伝統に根ざしています。
中国南方建築の様式を取り入れたこの寺において、山門を赤く塗るという選択は、
ごく自然な信仰と美意識に基づくものでした。
日本の多くの寺院が木の色味を活かした渋めの外観であるのに対し、
この鮮やかな赤は訪れる人の目を惹きつけると同時に、
異国情緒と神聖さを強く感じさせる効果があると言う事なのです。
こうした見た目の特徴が地元の人々の記憶と印象に深く刻まれ、
いつしか「赤寺」という呼び名が生まれたと言う訳なんです。
興福寺はまた、日本における黄檗宗発祥の地としても知られています。
1654年には中国から渡来した隠元隆琦禅師と言う人ががこの寺に入り、
住職を務めたことでも有名です。
隠元禅師は煎茶や普茶料理、木魚といった中国文化を日本にもたらし、
日本の仏教や生活文化に大きな影響を与えました。
こうした文化的背景もあって、
興福寺の建築様式や色彩は他の日本寺院とは一線を画しているのです。
興福寺の境内には、国指定重要文化財の大雄宝殿をはじめ、
媽祖堂や鐘鼓楼、三江会所門などが立ち並び、
中国建築の粋を凝らした彫刻や構造が今も色濃く残されています。
これらの建物もまた、赤や金を基調とした装飾が多く見られ、
視覚的にも華やかな印象を与えています。
また、現在の興福寺は観光地としてだけでなく、
地域との関わりも深いそうで、毎年5月には「茶市」という催しが行われて、
隠元禅師にちなんだ釜炒り茶の実演や新茶の振る舞いがあり、
多くの人々が訪れるそうです。
境内では「隠元さんのお煎茶」も販売されており、
歴史と味わいのあるひとときを体験することができるそうです。
行かれて見たら分かりますが、
寺の赤い門をくぐると、どこか別世界に入ったような錯覚を覚えるほど、
異国情緒と霊的な厳かさが漂っていますよ。
長崎という国際色豊かな地にあって、中国と日本の文化が交わる象徴的な場所でもあると
言えると思います。
このように「赤寺」として親しまれる興福寺の赤色には、ただの装飾以上の意味があります。中国由来の魔除けや吉祥の願いが込められ、仏教的にも深い意味を持つ色として、
山門に施された朱塗りはこの寺の精神を象徴しているのです。
長崎を訪れたなら、ぜひこの赤寺を訪れてみてください。
赤く染まった門の向こうには、歴史と文化が折り重なる静かな時間が流れています。
鮮やかな朱色が語る信仰と祈りの物語に、きっと心打たれると思いますよ、、、。
この一帯の寺町は 京都の風情がある町です
ここであの方のお墓も発見しました、、
その方は 日本最初の○○です、
この方とは誰なのか????
の話は、、、、、
明日に続く、、、。