
EXECUTIVE BLOG
2025.4.26
高光産業株式会社
妹尾八郎です。
昨日までは ドラクロア絵画自由の女神と ニューヨークにある自由の女神の話しでした。
そこで 疑問に感じる事があると思うのですが、、、
それは ドラクロアの女神は乳を出しているのに ニューヨークの自由の女神は出していないのか???
今日はこの違いに触れてみたいと思います、、、、。
ドラクロワの代表作『民衆を導く自由の女神』を見たことがあるかと思いますが、
絵をじっくり見た人はある疑問を抱くかもしれません。
「なぜこの自由の女神は、乳房をあらわにしているのか?」と。
これは単なる偶然や芸術的な演出ではなく、深い意味が込められているのです。
まず、この姿は古代ギリシャやローマの文化を模した表現に由来します。
19世紀当時、フランスの芸術や思想界では、自由や理性を表現する時に、
古代の神話や人物像をモデルにすることが多くありました。
ギリシャ神話に出てくる女神たちや、ローマの「自由の女神」は、
よく胸元をあらわにして描かれますね。
それは、自然な姿こそが人間本来の自由を象徴するという考え方に基づいているのです。
つまり、マリアンヌの姿は、「自由とは自然である」という強いメッセージなのです。
また、マリアンヌは「母なるフランス」の象徴でもあります。
乳房を見せているのは、性的な意味ではなく、母が子を育てるように、
フランスという国が民衆を守り育てていることを表しているのです。
この絵に描かれたマリアンヌは、単なる女神ではなく、
民衆の命や希望を育む存在として表現されているのです。
だからこそ、彼女は美しく着飾ることなく、裸足で戦場を踏みしめ、
力強く銃を構えているのです。
そこには「自由」は神話の中のものではなく、
現実の中で戦って手に入れるべきものであるという、
画家ドラクロワの強い想いが込められていると考えられますね、、、、。
さらに、この絵が描かれた1830年のフランスは、
シャルル10世の退位という激動の時代でした。
ドラクロワはこの出来事をただの記録ではなく、
「理想」と「現実」が交差する場面として描きました。
血まみれの革命の現場で、理念である「自由の女神」が人々を導いている姿は、
まさにフランスが目指した新しい共和国の理想そのものだったと思います。
乳房をあらわにするという表現は、
そこに命や希望、母性、そして理性といった複数の象徴が重なっているからこそ、
見る人の心を強く揺さぶるのではと思います。
では、同じ「自由の女神」であるはずのアメリカ・ニューヨークの像が
なぜ服を着ているのか???という疑問も浮かびます。
実は、あの像もフランスから贈られたものですよね、、、。
しかし、贈られたのは19世紀後半でした、、
当時のアメリカは非常に保守的な価値観を持っており
特に公共の場で女性の裸体像を設置することには強い抵抗があったようです。
そのため、ドラクロワのような大胆な表現は避けられ、
衣をまとった姿で造られたそうです。
このように、
ドラクロワの自由の女神マリアンヌが乳房を出しているのは、ただの演出や装飾ではなく、自由とは何か??、国家とはどのように民衆と関わるべきか???、
という深い哲学と芸術的な意思表現が背景にあるのです。
マリアンヌの姿は、今なおフランス共和国の精神を象徴する存在として、
世界中に強いインパクトを与え続けている事は間違いないとおもいます。
しかし 何故フランスは自由の国と呼ばれるようになったのか???
の話は
明日へ続く、、、。