
EXECUTIVE BLOG
2025.4.27
高光産業株式会社
妹尾八郎です。
昨日までは ドラクロアの自由の女神は何故乳房を出して描かれているのか?
の話しでした。
この自由の女神 ニューヨークの自由の女神に代表されるように
何故か フランスは自由の国 フランスと呼ばれる事が多いですね
今日は この話に、、、
「自由の国」と聞いてまず思い浮かぶ国の一つがフランスですよね、、、。
フランスは革命の国、思想の国、芸術の国といったイメージとともに、
「自由」を非常に強く意識し、象徴として掲げ続けてきました。
では、なぜそれほどまでに「自由」にこだわるのでしょうか?と興味が湧きます、、、。
その背景には長い歴史の流れがあり、古くは100年戦争から、近代ではフランス革命、
さらには芸術や国際的な象徴となった自由の女神像に至るまで、
自由をめぐる戦いと表現が積み重ねられてきていると思います。
まず考えられるのは、18世紀末のフランス革命(1789年)です。
この革命で 有名な「自由・平等・博愛」というスローガンが掲げられたのです。
当時のフランスは絶対王政のもとで庶民の生活は困窮し、
貴族や聖職者だけが特権を持っていた時代でした。
これに不満を持った市民たちが立ち上がり、王政を打倒し、新たに市民による政治体制、
つまり共和国を目指したのです。
このとき「自由」は、
ただの理想ではなく、人々が命をかけて勝ち取ろうとした現実的な目標となりました。
このフランス革命は、ヨーロッパや世界中の民主化運動にも大きな影響を与えました。
国家が人々の自由を守るためにあるという考え方は、
アメリカやラテンアメリカ、アジアの独立運動にも取り入れられ、
フランスは「自由の旗手」としてのイメージを強くしていったのです。
けれども、フランス人の自由への思いは、実はそれ以前から育まれていたと思います。
その一例が、14世紀から15世紀にかけての100年戦争(1337〜1453年)だと思うのですこの戦争は、イングランド王とフランス王の王位継承をめぐる争いで、
断続的に100年以上にわたって続きました。
その中で特に有名なのが、ジャンヌ・ダルクの登場でしたね、、、。
彼女は、神の啓示を受けたとして立ち上がり、フランス軍を率いてイングランドに立ち向かいました。
彼女の姿は、「外敵に対する抵抗」「祖国のための闘い」という意味で、
後の時代の自由の象徴とも重なったのです。
外国による支配に抵抗し、自分たちで国の未来を決めようという気持ちは、
のちに市民の自由意識につながっていったと考えられると思います。
また、19世紀のフランスでは、
芸術が「自由」のイメージを形にしていきました。
中でも有名なのが、
画家ウジェーヌ・ドラクロアの代表作『民衆を導く自由の女神』だったのです。
この作品は、1830年の7月革命を題材に描かれ、胸をあらわにしてフランス国旗を掲げる女性「マリアンヌ」が、民衆を導く姿が印象的ですね。
この「マリアンヌ」は、以後フランス共和国の象徴として定着し、
「自由」を体現する存在となったのです。
芸術が政治と結びつき、自由を守ることがフランス人の誇りとなっていったのです。
そして、国際的にもよく知られているのが、自由の女神像ですね、、、。
現在ニューヨークにあるこの巨大な像は、実はフランスがアメリカ独立100周年を祝って贈ったもので、設計もフランス人によるものだと言う事は世界中の方がご存知です。
この像は「自由の輝きが世界を照らす」という理念のもとに制作され、
まさにフランスが自国の価値観として「自由」を掲げ、
それを他国にも伝えようとした象徴でした。
このように見ていくと、「自由の国フランス」というイメージは、
単なるキャッチコピーではなく、長い年月をかけて培われた歴史と文化の結晶であることが分かります。
外敵との戦いの中で目覚めた自由意識、市民による政治革命、芸術による象徴化、
そして国際的な発信——
こうしたすべての流れの中で、フランスは「自由とは何か」を問い続け、
それを行動と表現で世界に示し続けてきて 自由の国フランと言うイメージが定着したのだと思います、、、。
で
明日は 何に続くのだったか???