
EXECUTIVE BLOG
2025.5.2
高光産業株式会社
妹尾八郎です。
昨日までは モンマルトルは 芸術家の街として有名だが 実はその地は
殉教の地だった、という話でした。
今日は このモンマルトルで活動していた芸術家の 明と暗の話しに進みます、、、。
フランス・パリのモンマルトルは、19世紀末から20世紀初頭にかけて、
多くの芸術家たちが集まり、創作活動に打ち込んだ芸術の聖地で有名ですね、、。
高台に位置するこの場所は、当時は今のような観光地ではなく、
貧しい人々や自由な精神を持つ芸術家たちが住む、雑多で活気ある場所でした。
そんなモンマルトルで活動した芸術家の中には、
当時から多くの称賛を集め、成功を収めた者もいれば、
生前は全く評価されず、死後になってからようやくその才能が見直された者もいたのです。このような明暗を分けた背景には、芸術の評価基準や時代の空気、
さらには個人の生き方や性格といった様々な要因が絡み合っていると思われます。
たとえば、ピエール=オーギュスト・ルノワールは、モンマルトルで活動しながら、
存命中から既に多くの人々にその作品が認められた芸術家である事は有名ですね。
彼の作品は明るく華やかで、人々の日常を美しく、やさしく描いたことで多くの人々の心をつかんでいました。
彼は印象派の中心人物でありながら、
その中でも特に穏やかで温かな雰囲気を持っており、絵画を通して幸福感を与える作風が評価されたのです。
また、ルノワールは社交的で、画商やパトロンとの関係を築くのも上手だったため、
作品が売れやすく、結果として経済的にも成功を収めたのでしょう。
時代が彼の作風を求めたという点でも、彼は非常に幸運だったといえると思います。
一方、同じモンマルトルで活動しながら、生前はほとんど評価されなかった芸術家に、
フィンセント・ファン・ゴッホがいます。
オランダ出身の彼は、弟のテオに支えられながらモンマルトルに移り住み、
精力的に絵を描き続けていました。
彼の色彩は独特であり、筆致は激しく、当時の人々にとっては理解し難いものであった。感
彼の絵を見た方は多いかと思いますが、情をむき出しにするような表現は、
洗練されたものが好まれる当時のパリの芸術界では、しばしば拒絶の対象となってしまったのです。
さらには、
彼の性格は非常に繊細で不器用であり、人付き合いが苦手だったため、
画商との関係も築けなかった為に作品も売れなかったと考えられます。
病に苦しみ、孤独の中で自ら命を絶ったゴッホの絵が再評価されるのは、
彼の死後、何十年も経ってからのことです。
なぜこのような明暗が生まれたのか????。
その大きな理由の一つは、
「時代のニーズ」と「芸術家の社会的立ち回り」にあると考えられるのではと思います。
ルノワールのように、明るく柔らかな印象を与える作品は、産業革命以後のフランスで、
中産階級が台頭する中、家庭に飾りたいと思わせるような親しみやすさがあり、
需要が高まったのでしょう。
さらに、ルノワール自身が穏やかで対人関係も円滑であったため、
画商やパトロンに気に入られやすく、絵が売れていったのだと考えられます。
一方でゴッホは、当時としては前衛的すぎる作風であり、社会との接点も乏しかったのです。芸術に革新を求めていたとしても、それが時代の空気とずれていれば、理解を得るのは難しいと思います。
また、芸術界の評価というものが、
時として「同時代の理解」とは必ずしも一致しないこともこの明暗を分けた理由ではと思います。
芸術の本質的な価値は、
時代が変わり人々の感性や価値観が変化することで、初めて見えてくることがあるでしょう。
ゴッホの作品は、その色使いや構図の独創性が、20世紀以降の表現主義や抽象絵画の先駆けとして再評価され、美術史の中で重要な位置を占めるようになったのです。
つまり、時代を先取りしすぎた者は、その時代には理解されず、
時代が彼に追いついてからようやく脚光を浴びるという皮肉な構図があるのではと思います。
さらに、評価を受けるためには
「記録されること」「語り継がれること」も重要であると考えられます。
ゴッホの場合、弟テオが彼の作品を保存し、その後、テオの妻ヨハンナが彼の絵を広める努力をしたことで、後世の人々の目に触れる機会が増え、評価へとつながったのでしょう。
一方で、似たような才能を持ちながらも、記録や紹介者がいなかったために歴史に埋もれていった芸術家も多く存在すると思います。
モンマルトルは、
才能ある芸術家が生きたまま評価される者と、
死後にようやく認められる者との分かれ道となる場所でもあったのでしょう。
その差は、作品の内容だけでなく、時代背景、人間関係、商業的要素、
そして偶然が重なり合った結果だとおもうのです。
現代に生きる私たちにとって、
これは
「今評価されているものが本当に価値あるものか」
「理解されていないものにこそ未来があるのではないか」という問いを投げかけてきます。
芸術は時代と共に生きるが、時代を超えて残るものこそ、
本当の芸術であるのかもしれませんね、、、、。
明日は
ゴッホを見出した人の話に進む、、、。