EXECUTIVE BLOG

社長&顧問ブログ

2025.5.15

ラテン語

高光産業株式会社

妹尾八郎です。

 

昨日までは 新教皇の挨拶はラテン語で行われると言う話でした

 

今日は そもそもラテン語とは???に進みます、、、、。

 

ラテン語という言葉は、

もともとイタリア半島中部の「ラティウム地方」で話されていた言葉なんですしょ。

この地域にはローマという小さな町があり、

そこから始まったローマ人たちが使っていた言語が「ラテン語」と言う事になります。

 

最初はごく限られた地域の方言に過ぎませんでしたが、

次第にローマが周囲の都市国家を制圧し、イタリア全土、やがて地中海世界全体に広がるにつれて、ラテン語も一緒に広まっていきました。

 

ローマ帝国の時代、特に紀元前1世紀から紀元後3世紀ごろにかけては、

「古典ラテン語」と呼ばれる洗練された書き言葉が登場します。

キケロやカエサル、ウェルギリウスなどの有名な作家や政治家たちは、

この古典ラテン語で演説し、文章を書きました。

学校でも教養ある人々の間でもこのラテン語が使われ、

共通の文化を築く役割を果たしましていたのです。

 

一方、庶民の間では

「俗ラテン語」と呼ばれるもっと話し言葉に近い形のラテン語が使われていました。

文法もゆるく、語彙も地域によって違いがありました。

この俗ラテン語は、文字で残されることは少ないのですが、

実際には日常生活で話されていたのはこちらの方だったそうです。

 

ローマ帝国が東西に分かれるのは紀元395年のことです。

東ローマ帝国ではギリシャ語が主な言語になり、西ローマ帝国ではラテン語が引き続き使われました。

しかし476年に西ローマ帝国が滅びると、政治の統一が失われ、人々の生活も分断されていきます。

これが、ラテン語がその後すたれていく第一の理由だと考えられています。

 

政治の統一がなくなると、

各地のラテン語が地域ごとにどんどん異なっていくようになりました。

ラテン語にはもともと複雑な文法がありましたが、時代が下るにつれて省略され、

簡略化されるようになります。

 

たとえば、名詞の格変化や動詞の活用が単純化され、

語順や前置詞によって意味を伝えるようになりました。

また、話し言葉としてのラテン語には現地の言葉の影響も加わっていったのです。

 

こうして、俗ラテン語は時代とともに変化し、

フランス語、イタリア語、スペイン語、ポルトガル語、ルーマニア語などの

「ロマンス語」と呼ばれる新しい言語に分かれていきました。

つまり、これらの言葉はラテン語がそのまま進化した姿であり、

ラテン語がすたれたというより、変化して別の形になったと考えた方が正確なのです。

 

では、なぜこうした変化が起こったのでしょうか??。

ひとつには、教育の場で古典ラテン語をしっかり学ぶ人が少なくなったことが挙げられます。

ローマ帝国の崩壊後、学校制度が衰え、正しいラテン語を学ぶ機会が減ってしまったのです。もうひとつは、交通や通信の手段が限られていたため

、地方ごとの言葉の違いがそのまま固定され、独自に発展していったという事情もあります。

 

それでも、ラテン語は完全に消えてしまったわけではありません。

中世ヨーロッパでは、教会や学問の世界ではラテン語が使われ続けました。

聖書や典礼文、学術書、法律文書などはラテン語で書かれていました。

大学でも講義はラテン語で行われるのが普通でした。

これは「中世ラテン語」と呼ばれる形で、古典ラテン語とは少し違う、実用的な文章言語として残っていました。

 

やがて近世になると、各国の言語が発達していき、

学問や行政の世界でもそれぞれの国語が使われるようになります。

こうして、ラテン語は学問の中心からも徐々に退き、

現在では「死語」とされています。

 

ただし、今でも医学や生物学などの分野では、分類や命名にラテン語が使われていますし、カトリック教会でも一部ではラテン語の典礼が行われているのです。

 

つまり、ラテン語は一度はローマ帝国全体をつなぐ共通の言語として栄え、

その後、各地で姿を変えて新しい言語を生み出していった、ということです。

 

現代のイタリア語やフランス語、スペイン語を話す人々の中には、

学校でラテン語を学び、自分たちの言葉のルーツを知ることが義務教育の一部となっている国もあります。

ラテン語はすたれたのではなく、

形を変えて今も暮らしの中に生き続けていると言う事なのですね、、、。。

 

明日は ところでローマ帝国は何故、、、、?

 

に続く、、、。

高光産業株式会社 公式サイト

https://takamitsu.com/

次の記事へ
前の記事へ