
EXECUTIVE BLOG
2025.5.23
高光産業株式会社
妹尾八郎です。
昨日までは ローマ帝国の国教がキリスト教になる前の話しでした。
今日は それまでの神を信じていた人々の話に進む、、、。
ローマ帝国がキリスト教を国の宗教としたことで、
それまで長い間ローマの人々に親しまれてきた多くの神々の信仰は、次第に禁止され、
社会の表舞台から姿を消していくことになりました。
紀元392年、皇帝テオドシウス1世は「異教禁止令」を発布し、
ユピテルやマルス、ヴィーナスといった神々にささげる儀式や神殿での祭祀を公に禁止しました。
神殿は閉鎖されるだけでなく、壊されたり、キリスト教の教会として使われるようになったりもしました。
これは、それまで長い間ローマ社会の中で自然に行われていた宗教的な営みを、
一気に別の信仰へと切り替える大きな転換点だったのです。
それまでのローマでは、多神教が当然のように信じられ、人々は家庭でも町でも神々に祈り、神殿を訪れ、収穫や戦争の成功を祈っていました。
しかしキリスト教が帝国の支配する全地域に広まっていくと、
そうした神々への信仰は異端とされ、取り締まりの対象になっていきました。
皮肉なことに、それまで弾圧されていたキリスト教徒が、
今度は旧来の信仰を守る人々を排除する立場になったのです。
神殿の破壊や祭壇の撤去だけでなく、
異教的な考えを持っているとされた哲学者が追放されるような出来事も起こりました。
このように宗教の切り替わりには、暴力や圧力をともなう厳しい面もあったのです。
ただし、すべての人がすぐに新しい宗教であるキリスト教に従ったわけではありません。
特に地方の農村では、伝統的な神々への信仰や祭りが根強く残りました。
都市部に比べてキリスト教の布教が遅れていたためです。
こうした農村の人々のことを、
キリスト教徒たちは「田舎者」を意味するラテン語「パガヌス(paganus)」と呼ぶようになります。
この言葉がやがて「異教徒=ペイガン(pagan)」という言葉の由来となったのです。
つまり、古い神々を信じ続ける人々が「異教徒」とされるようになったのは、
キリスト教化の進んだ都市の人々から見た農村の人々の信仰が時代遅れだとみなされたからでもあります。
それでも、ローマの神々への信仰が完全に消えたわけではありません。
たとえば、農耕に関わる神をまつる祭りや、太陽の復活を祝う冬至の行事などは、
キリスト教の行事と結びついて新しい意味を持つようになりました。
特に冬至の時期に行われていた祝祭は、
やがて「クリスマス」としてキリスト教に取り入れられていったと考えられています。
また、聖人崇拝という形で、古代の神々に似た信仰のあり方も残りました
。これは、かつての神々の役割が形を変えて続いた例だといえます。
さらに、現代に入ってからは、
古代ローマの神々の信仰をもう一度復興させようという人々も現れています。
これを「ネオ・ペイガニズム」や「リコンストラクショニズム」と呼びます。
これは単なる過去への回帰ではなく、
文化や歴史に対する敬意を持って古代の宗教や儀式を再構築しようとする動きです。
信者の数は決して多くはありませんが、
学問的な研究と信仰を融合させながら、古代の価値観を現代に伝えようとしています。
このように、キリスト教がローマの国教となったことで、
公の場から古い神々の信仰は排除されましたが、民衆の間ではすぐに消えることはなく、
密かに守られたり、形を変えて新しい文化の中に残ったりしてきました。
今でもヨーロッパ各地の民間伝承や祭りの中に、
古代の神々に由来する要素が見つかることがあります。
それはまさに、信仰とは単に命令で変わるものではなく、
人々の生活の中に深く根付いていたことを示しているのだと思います。
そして現代においても、
古代の神々の存在は神話や文学、建築、美術などを通して
私たちの文化の中に生き続けています。
ユピテルの像やマルスの物語、ヴィーナスの美の象徴としてのイメージは、
今もなお私たちの想像力をかきたてる存在ですね。
宗教としての役割を終えた後も、
彼らは文化や歴史の記憶の中で、姿を変えて残っているのです。
キリスト教が支配する世界になっても、かつての神々は完全に消えたわけではなく、
人々の心の中や日常の中に形を変えて息づいている、
そんな歴史の重なりが今も感じられていると思います。
明日は 一神教でなくて良いのでは???
の話に
続く、、。