
EXECUTIVE BLOG
2025.5.26
高光産業株式会社
妹尾八郎です。
昨日までは ローマもイスラムも キリスト教 イスラム教が生まれる前までは
多神教だったと言う話でした。
今日は では日本は?? の話に進みます、、、。
キリスト教やイスラム教が生まれる前の世界は、
多くの地域で多神教の文化が根付いていましたね。
古代ギリシャやローマではゼウスやアポロン、ユピテルやヴィーナスなど、
たくさんの神々が人々の信仰の対象でした。
中東でも同様に、部族や地域ごとに異なる神々が祀られていたのです。
こうした多神教の世界から、
キリスト教やイスラム教という「唯一の神」を信じる一神教が誕生し、
やがて国や文明全体を覆っていくようになりました。
一方、日本もまた、古くから「八百万(やおよろず)の神」といわれるように、
山や川、木や岩、雷や火など、あらゆる自然現象に神が宿ると考え、
多くの神々を信仰してきました。
それでも、日本ではキリスト教やイスラム教のような
「唯一神を信じる宗教」が広がることはありませんでした。
なぜ日本では一神教のような思想が根付かなかったのでしょうか??。
そこには日本独特の歴史、文化、自然観、社会構造などが深く関係していると思います。
まず第一に、日本人の自然観があります。
日本では古来より、人間が自然を支配するのではなく、
自然とともに生き、自然の中に神聖なものを見るという考えが根付いていました。
山には山の神、川には川の神、海には海の神がいるとされ、
それぞれの神はそこに住む人々の生活と深く結びついていました。
一つの神がすべてを支配するというより、それぞれの場にふさわしい神がいて、
それぞれの神に感謝し、祈り、敬うという生活が自然に行われていたのです。
このような自然との調和の中に神を感じる姿勢は、
排他的な一神教の考え方とは相容れないものがあります。
次に、
日本の宗教は「共存型」であり、「排他性」が少なかったという点も重要です。
例えば神道と仏教。
仏教がインドから中国を経て日本に伝わってきたのは6世紀頃ですが、
そのとき日本人は、
神道と仏教を対立させてどちらかを選ぶという発想を取りませんでした。
むしろ「神も仏も両方とも有難い」と考え、神社の中に仏像が祀られるようになったり、
神様を仏の化身とみなす「神仏習合」という思想が生まれました。
一つの宗教が他の宗教を否定するのではなく、融合していくという柔軟な考え方は、
いわば日本の精神風土に合った形だったのでしょう。
また、日本は地理的にも、外部からの宗教的圧力を受けにくい環境にありました。
キリスト教やイスラム教が成立した中東やヨーロッパでは、
政治や軍事と宗教が強く結びつき、
宗教の違いが戦争や征服の原因となることもありました。
そのため、
宗教は国家の権威の象徴として「唯一の神」を掲げる必要があったとも言えます。
しかし、日本は島国であるため、外敵からの圧力が相対的に少なく、
宗教を使って国民を統一する必要がそれほど高くなかったのです。
さらに日本の社会構造も関係しています。
古代から中世にかけて、日本は「村社会」の文化が強く、
地域ごとに小さな共同体がありました。
それぞれの村には土地神や氏神が祀られ、
村人たちはその土地に根差した神を大切にしました。
全国一律に「この神だけを信じなさい」と命じられるよりも、
身近な神を大切にする方が生活に合っていたのです。
こうした多様な地域文化を一つの神でまとめ上げようとするよりも、
それぞれの神々を尊重する方が、むしろ自然で円満な社会運営につながっていたのです。
また、日本の宗教には
「教義中心」ではなく「行事・習慣中心」という特徴があります。
キリスト教やイスラム教は、神の言葉を記した聖書やコーランがあり、
それに従うことが信仰の根幹にあります。
しかし
日本の宗教、特に神道には明確な経典がなく、
宗教とは「こうしなければならない」という強い規範ではなく、
「こうすればありがたい」「お祭りをして神様に感謝しよう」
といった形で人々の生活に根付いてきました。
そのため、厳格な教義に従って唯一の神を信じるというスタイルとは異なり、
もっと自由で柔らかな形で信仰が育まれてきたのです。
更に、
日本では「信じること」よりも「大切にすること」が重視される傾向があります。
キリスト教やイスラム教では、
「唯一の神を信じなければ救われない」という考え方が中心にあります。
ところが日本では、「信じる」というよりも、
「神様を大切に思う」「神様に感謝する」という心が信仰の中心にあります。
そのため、他の宗教を排除する理由がなく、
むしろたくさんの神々を大切にすることに抵抗がなかったのだと思います。
このように見ていくと、
日本が一神教に移行しなかったのは偶然ではなく、
日本人の自然観、社会構造、宗教観、そして心のあり方が
深く関係していたことがわかります。
一神教が広がるためには、「唯一の正しさ」を掲げ、
それに従うことを求める思想や仕組みが必要です。
しかし日本では、
「正しさは一つではない」「みんな違っていてもよい」
という柔らかな価値観が、人々の間に根付いていたのです。
それが、
八百万の神々を大切にし続ける日本の宗教文化の土台になっているのではと思います。
ここで またまた疑問が湧いてきますよね、、、
日本は一神教ではありませんが、、 でも、、、、
の話は
明日へ続く、、、。