
EXECUTIVE BLOG
2025.5.28
高光産業株式会社
妹尾八郎です。
昨日までは 日本の八百万の神の話しでしたが その神々の親神が居ると言う話でした。
今日は その続きになります、、、、。
私たち人間は、昔から目に見えない力に守られ、導かれていると感じて生きてきました。
それが「神」という存在です。
世界には様々な宗教があり、それぞれの土地や文化の中で信仰されてきました。
キリスト教、イスラム教、ユダヤ教、仏教、ヒンドゥー教、そして日本の神道など、
それぞれに異なる教えや儀式があります。
しかし、根本的なところに目を向けると、
どの宗教にも「大いなる存在」――
つまり、全てを生み、見守り、導く「親なる神」が存在しているように思えます。
例えば、
キリスト教では「ヤーベ」という神が全ての創造主であり、
人間を愛し導く存在として語られています。
イスラム教でも同じ神が「アッラー」という名前で信仰されており、
慈悲深く、唯一絶対の神として崇められています。
ユダヤ教もまた、この「ヤーベ」を唯一の神として大切にしてきました。
呼び方や教えの細部に違いはありますが、共通しているのは
「唯一で絶対の神が存在している」という信仰の芯ですね。
日本の伝統的な信仰は「八百万の神」といって、
山や川、風や雷など、自然のあらゆるものに神が宿るという考え方です。
一見すると多神教であり、他の一神教とは相いれないようにも見えますが、
よくよく考えると、日本にも「親神」と呼ばれる神様がいます。
たとえば天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)は、
天地の始まりに現れた最初の神であり、全ての神の元になる存在とされています。
このような神を親神とする考え方は、一神教における「創造主」と非常によく似ています。
つまり、世界中の宗教はそれぞれ違った言葉や形で語られていても、
その根本には「すべてを生み出した親のような存在」がいるという共通点があると思います。
宗教が違っても、人間が神に向ける感謝、祈り、願いはよく似ています。
苦しいときに助けを求め、幸せを感じたときに感謝を捧げ、
人としてどう生きるかを教えられる。
それはまるで、子どもが親に育てられ、導かれながら成長していく姿そのものです。
私たち人間は、国や言葉、文化が違っても、
神の子どもという立場ではみな兄弟姉妹なのではないでしょうか。
それぞれの家庭で育ち、教えられたことに違いがあっても、
大元の親は一つ、という見方をすれば、宗教の違いは争いの原因ではなく、
むしろ多様な道の一つとして尊重し合えるものになると思います。
実際に、宗教が違うことを理由に争いや対立が起こることもあります。
「自分たちの信じている神が正しい、他は間違っている」と決めつけてしまうと、
どうしてもぶつかってしまいます。
でも、それぞれの神様が、違った時代や土地で、
そこに生きる人々に必要な言葉や形で現れたと考えたらどうでしょうか。
親が子ども一人一人の個性や状況に合わせて接するように、
神もまた、さまざまな姿で人々に寄り添ってきたのだとすれば、
その多様性こそが神の大きな愛の表れだと思います。
自分の宗教だけが正しいと主張するのではなく、
他の信仰にも耳を傾け、学び、理解しようとする姿勢が大切です。
違いを否定するのではなく、
違いを通じて広い世界を知り、深く感じることができるようになります。
そして
「この世界には、いろんな道があるけれど、みんな一つの親神に帰っていく道なのだ」
と思えば、心は自然と穏やかになります。
宗教とは本来、人の心を優しくし、他者を思いやるためのものです。
自分の信仰を大切にしながら、他人の信仰も尊重する。
それができれば、宗教が原因で争うことなど本来は起こらないはずです。
逆に
、宗教を通じて人々が手を取り合い、協力し、助け合う世界が生まれていくでしょう。
この広い世界には、いろんな考え方や信じ方があります。
でもその根っこには、
親のように大きく深い愛で見守ってくれている存在がいるという共通の思いがあります。
その思いに気づいたとき、私たちはきっと、互いに敬い、認め合い、
平和に生きるための道を選ぶことができるのではないでしょうか。
宗教が違っても、信じる神が違っても、心の奥でつながることはできるのです。
その気持ちを忘れずに、
互いを尊重しながら歩んでいけるような世界を目指したいと思います。
とは言え それぞれにアレがありますね
その話しは、、、、、??
明日へ続く、、、。