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社長&顧問ブログ

2025.5.29

経典

高光産業株式会社

妹尾八郎です。

 

昨日までは どの宗教にも大いなる存在である 親なる神が存在していると思います。

 

キリスト教には「聖書」、イスラム教には「コーラン」という、

信者が大切にする教えが記された特別な本があります。

これらの経典には神の言葉や教えが集約されており、

信者たちはその教えに従って生活し、信仰を深めています。

 

では、日本に古くからある仏教や神道には、

同じような「決まった教えの本」はないのでしょうか???。

もし無いのだとしたら、なぜそのような違いがあるのでしょうか???。

今日はその理由についての話に進みます、、、、。

 

まず、キリスト教やイスラム教は「一神教」です。

つまり、

たったひとりの神様を信じ、その神様がすべての答えを持っているという考え方です。

 

このような宗教では、

神が人間に対して「これが正しい生き方だ」とはっきり教えてくれることが大切になります。そのため、神が語った言葉や教えを、誰かがきちんと書き残す必要がありました。

それが聖書であり、コーランです。

どちらも神の言葉を人間がまとめたものとして、非常に大きな意味を持ちます。

 

一方、日本に古くから伝わる神道や、インドから伝わってきた仏教は、

このような「唯一絶対の神が言葉で教えを示す」というスタイルではありません。

 

まず神道ですが、これは日本の自然や土地、祖先などを神として敬う「多神教」の一種です。山や川、太陽、風、雷といった自然の力に「神」が宿るとされ、

そうした神々に感謝し、調和して生きることが信仰の中心になります。

神道では、「これが正しい」「これが間違っている」とはっきり決められた教義はあまりなく、「感じる心」や「自然と共にある生き方」が重んじられています。

そのため、神が言葉で命令するというような教え方ではなく、

祝詞や神話、儀式を通じて神とのつながりを大切にしてきました。

 

神道にも「古事記」や「日本書紀」といった歴史書や神話の本はありますが、

これらは神様が語った言葉というより、昔の人々が神話や出来事を書き残したものです。

信者に対して「こう生きなさい」と命じる内容ではなく、

「日本の神々や国の成り立ちをどう伝えていくか」が中心です。

ですから、聖書やコーランのような「絶対の教えが詰まった経典」とは少し違います。

 

次に仏教ですが、

仏教には「経典」と呼ばれるお経がたくさんあります。

有名なものでいうと、「般若心経」や「法華経」「阿含経」などがあります。

しかし、仏教の経典は数が非常に多く、どれか一冊にまとめられているわけではありません。しかも、その内容も地域や宗派によって違っているため、

「仏教のこれが絶対の教えです」とひとつにまとめることが難しいのです。

 

なぜかというと、

仏教の教えは「悟り」を開いたお釈迦様が、弟子たちの質問に答える形で説いたものが多く、その場その場で内容が変わることもあるからです。

例えば、悩んでいる人の立場や性格によって、

同じ問題でもお釈迦様の答え方は変わりました。

これは「柔軟な教え」ともいえますし、

「一冊の本にまとめにくい教え」ともいえるでしょう。

 

また、仏教は「神の命令に従う」というより、

「自分自身で真理を探し、心のあり方を整える」ことに重点を置いています。

つまり、自分の心を見つめ、自分で考え、修行を通じて学んでいく道です。

だからこそ、お釈迦様も

「私の言葉を鵜呑みにするのではなく、自分で確かめなさい」と説いています。

これも、ひとつの「絶対の教え」が存在しにくい理由だと思います。

 

つまり、聖書やコーランのような「神の言葉をまとめた一冊の本」がないのは、

それぞれの宗教の成り立ちや考え方の違いによるものなのです。

 

神道は自然と共に生きる感覚的な信仰、仏教は心の修行と悟りを目指す道。

そして、

キリスト教やイスラム教は、神が人間に直接教えを与えたという形が基本になっています。

 

それぞれの宗教は、どれが正しいとか間違っているというものではなく、

背景や考え方に応じて形を変えてきたのです。

そのため、聖書やコーランのような「一冊にまとまった教えの本」がある宗教もあれば、

神話や多くのお経、自然の感覚を通じて教えを伝える宗教もあるのです。

 

私たちが大切にしたいのは、

「どの宗教が正しいか」を比べることではなく、

それぞれの信仰が大切にしている心のあり方や、

人間としての生き方に学ぶことではないでしょうか。

 

日本には昔から、他の宗教を受け入れる柔らかな心や、共に敬い合う文化があります。

だからこそ、

多神教の神道と、仏教と、キリスト教やイスラム教が共に存在できる土壌があるのです。

 

それぞれの宗教には、それぞれの形と意味がある。その違いを理解し合い、

尊重し合って生きていくことが、

これからの社会にとっても大切な心の持ち方ではないかと思います。

 

明日は そもそも般若心境とは????

に続く、、、。

高光産業株式会社 公式サイト

https://takamitsu.com/

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