
EXECUTIVE BLOG
2025.6.2
高光産業株式会社
妹尾八郎です。
昨日までは 仏教の各宗派の話しでした。
その中でも 日蓮宗では 法華経だけが一番正しいと説いていました。
そう聞くと 過激な宗派な気がしますね、、
一歩間違うと イスラム過激派のようにならないのかと心配してしまいますが
日本では決してそのような事は起きていませんね、、、
それは 何故かの話しに今日は進みます、、、、。
日蓮宗というのは、鎌倉時代に日蓮というお坊さんが始めた仏教の宗派です。
日蓮は、『法華経』というお経こそが、仏さまの教えの中で一番大切で正しいものだと強く信じていました。
そして、ほかの宗派の教えは間違っていると、はっきり言いました。
たとえば、当時人気のあった浄土宗や真言宗などに対して、
「念仏は地獄に落ちる、禅は悪魔、真言は国を滅ぼす、律宗は国の敵だ」
とまで厳しく批判しました。
このように、
日蓮の考えには「自分たちの教えこそ正しい。他は間違いだ」という強い思いがありました。
こうした考え方は、時には争いや対立を生むきっかけになることもあります。
たとえば、イスラム教の中にも「この道こそが唯一の正しい道だ」と考える人がいて、
その思いが強くなりすぎて争いを起こすこともあります。
ですから、「日蓮宗も同じように争いを引き起こすのではないか」と心配するのも、
もっともな考えだと思うのです。
でも、実際には日蓮宗が暴力的になって、他の宗教と戦ったということはあまりありません。それにはいくつかの理由があります。
まず一つ目に、日蓮は自分の教えが正しいと信じていましたが、それはただ自分が救われるためではなく、日本という国とそこに住む人々が平和で安心して暮らせるようにするためだと考えていました。
つまり、「この教えを信じれば、国がよくなる」という思いがありました。
だから、
「他の宗教を力でなくしてしまえ!」というような危険な考えではありませんでした。
二つ目に、
日本はもともと八百万の神さまを信じる国で、いろんな神さまや仏さまが一緒に信仰されてきた歴史があります。
神道と仏教が混ざっていた時代も長く、「みんなちがって、みんないい」というような柔らかい考え方が社会の中にありました。
だから、たとえ日蓮が「法華経だけが正しい」と言ったとしても、
それを聞いた人たちがすぐに他の宗教を敵にしようとは思わなかったのです。
三つ目に、
日蓮はその過激な主張のために、当時の政治の力を持つ人たちからも嫌われ、
何度も流罪にされました。
つまり、国のトップが日蓮の考えにブレーキをかけていたということです。
日本では、宗教が政治と深く関わっていたので、あまりにも過激な動きは止められるようになっていたのです。
四つ目に、時代が進むにつれて、日蓮宗もさまざまなグループに分かれていきました。
「顕本法華宗」「本門仏立宗」などに分かれたり、「創価学会」のように新しい形に発展したものもあります。
その中には平和運動や社会貢献を大切にしている団体も多く、
必ずしも「排他的=過激」というわけではありません。
このように、日蓮宗は「自分たちの教えが正しい」と強く信じている点では、
イスラム教やキリスト教の中の原理主義と似ている部分もありますが、
日本の文化や社会、政治のあり方のおかげで、大きな争いや暴力にはつながりませんでした。
もちろん、どんな宗教でも、その信じる気持ちが強くなりすぎて、まわりと争うようになってしまう危険はあります。
だからこそ、お互いの考えを尊重する気持ちや、多様な価値観を認め合う社会のあり方がとても大切なのです。
つまり、大事なのは
「自分の信じる道を大切にしながらも、他の人の道も否定しない」ことです。
そうすれば、宗教が争いの原因ではなく、
心を穏やかにし、人と人とを結びつける力になるのです。
日蓮宗の歴史を知ることは、信仰と社会のかかわりについて考えるきっかけにもなるのではと思います。
仏教の話が続いていますが
私含めて 京都に観光に出かける方は多いかと思います、 それは神社仏閣見学が
中心ではと思います。
京都の大きなお寺に初めて行った時に その大きな寺の中に 色々なお寺があるのを
見て不思議に思ったことがあります。
そしてその事を ある呼び方がある事が分かりました、、、、
それは なんと呼ばれていてなんの為なのか????
の話は
明日へ続く、、、。