
EXECUTIVE BLOG
2025.6.28
高光産業株式会社
妹尾八郎です。
昨日までは 長州藩が傾倒した儒教の話しでした。
儒教の発祥地は 中国ですよね、
その中国の最近をみていると 儒教の発祥の国と思えなうような事が
あってる気がします。
儒教発祥から 文化大革命で儒教が禁止になった話に今日は 進みます、、、。
儒教という教えは、
もともと古代中国の思想家・孔子によって説かれた道徳的な学問であり、
人としてどう生きるべきか、社会がどうあるべきかを重んじる非常に優れた考え方です。
紀元前6世紀ごろに活躍した孔子は、
混乱した時代において人々が秩序と道徳を持って暮らせる社会を目指し、
「仁(思いやり)」「義(正しさ)」「礼(礼儀)」「智(知恵)」「信(誠実)」
といった人間の基本的な徳目を大切にしました。
特に「仁」という概念は、他者への思いやりや愛情を意味し、
儒教の中心的な価値とされています。
孔子の教えは当時の支配層には受け入れられなかったものの、
彼の死後、その弟子たちを通じて広まり、ついには漢の時代(紀元前2世紀)に国家の正式な教えとして採用されます。
このときから中国の歴代王朝では、儒教が官僚登用制度(科挙)の根幹をなし
、役人になるには儒教の経典を学び理解することが必須となりました。
これによって儒教は庶民の生活にまで浸透し、
親を敬い、年長者に従い、礼儀を守り、社会の調和を大切にするという価値観が国の基礎となっていきました。
しかし、
このような長い伝統が現代の中国ではあまり感じられないのはなぜなのでしょうか??。
そこには複雑な歴史的背景が関わっています。
19世紀に入ると、中国はアヘン戦争などで西欧列強の圧力を受け、
清朝の支配力が弱まっていきました。
これにより、
「儒教に基づいた国家運営では近代化に対応できない」という批判が高まりました。
やがて1911年に清が倒れ、中華民国が成立すると、
民主主義や科学主義といった西洋の思想が取り入れられる一方で、
儒教は「封建的な古い考え」と見なされるようになります。
これが儒教の衰退の始まりでした。
さらに20世紀中盤、中国を大きく変える出来事が起こります。
毛沢東による「文化大革命」(1966〜1976)です。
この10年間、
共産党は旧来の文化や思想を「四旧」と呼び、徹底的に否定し破壊しました。
孔子をはじめとする儒教思想も標的となり、孔子廟が破壊され、儒学者は迫害され、学校教育からも伝統的な道徳は一掃されていきました。
儒教の経典は焼かれ、親を敬うというような教えさえも「封建的な迷信」として非難され、世代を超えて受け継がれてきた価値観が、まるでリセットされたかのように断ち切られたのです。
この文化大革命の影響は非常に深刻で、数十年が経った今でも、
中国社会に残る大きな傷跡となっています。
その後、1978年から鄧小平による「改革開放」が始まり、
中国は経済成長を最優先にする政策に転換します。
このころから「豊かになることは素晴らしい」というスローガンのもと、
国民全体が物質的な成功を追い求める社会へと変化していきました。
儒教が大切にしていた「徳」や「義」よりも、「利益」や「効率」を重視する傾向が強まり、人々の価値観は一気に実利的なものへと移行します。
こうして、かつて社会の基盤であった儒教は教育現場からも、家庭のしつけからも遠のき、現代の中国では「孔子は知っているが、
その教えを生活に生かしている人は少ない」という状況が広がっています。
もちろん、最近の中国政府は、国内外で儒教文化を見直そうとする動きを見せています。
孔子学院の設立や、観光地としての孔子廟の復興など、表向きには儒教を大切にしているように見えますが、実際にはその多くが政治的なイメージ戦略であり、
国民の行動原理にまで深く根付いているとは言い難いのが現実です。
都会では競争や利益優先の価値観が支配し、
地方でも儒教的な「徳より利」という風潮が広がっており、
礼儀や思いやりを軽視するような行動が見られるのは、
そうした歴史的な流れの中で自然と生まれてきたものといえるでしょう。
つまり、今の中国社会で儒教が守られていないように感じられるのは、
ただ人々が道徳を忘れたのではなく、長い歴史の中で意図的に壊され
別の価値観が植え付けられた結果なのです。
中国の人々が変わったのではなく、社会の土台そのものが大きく変えられてしまったということを、私たちは歴史から読み解く必要があるのだと思います。
孔子の教えは本当に素晴らしいとおもいますが、
西洋にも素晴らしい教えを持った人がいました、、、
それらは誰で何を教えたのか???
の話は????
明日へ続く、、、、、。