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社長&顧問ブログ

2025.6.29

文化大革命

高光産業株式会社

妹尾八郎です。

 

昨日までは 中国の儒教が毛沢東の文化大革命で失われたと言う話でした。

今日は

そもそも 文化大革命って何??から その後の毛沢東の評価についてに

話しは進みます、、、、。

 

中国の文化大革命とは、1966年から1976年まで、毛沢東が主導して進めた大規模な社会運動であり、中国全土を揺るがす激しい政治的闘争でした。

 

私もリアルタイムでこのニュースを目にしていました、、、、。

 

この運動の名の通り「文化」を対象とし、旧来の価値観、思想、制度、風習などを「

旧文化」「旧思想」「旧習慣」「旧風俗」として攻撃の対象としましたが、

実際には単なる文化の刷新ではなく、

毛沢東自身の政治的権力を取り戻すことを目的とした、極めて政治色の強い革命運動でした。

 

この文化大革命の背景には、毛沢東の危機感がありました。

1958年に始めた「大躍進政策」が大失敗に終わり、数千万人の餓死者を出したことで、

毛沢東は中国共産党内での信頼を大きく失っていました。

 

その後、国家の実務は劉少奇や鄧小平ら現実路線の指導者に任され、

毛は名目上の指導者として徐々に影が薄くなっていきました。

 

こうした中で毛は、自らの思想と路線こそが正しいと信じて疑わず、自身の指導力を復権させるために、全国的な「階級闘争」を再び呼び起こそうと決意します。

 

文化大革命は、彼の権力回復と個人崇拝の強化、そして党内の政敵を排除するための手段でもあったのです。

 

毛沢東は「資本主義の芽」を摘み取ることが必要だと訴え、若者に向けて旧来の体制や伝統に反旗を翻すよう呼びかけました。

 

特に都市部の学生を中心に組織された「紅衛兵」は、毛の命令に従って各地で「反革命分子」「資本主義の走狗」と見なされた教師、知識人、党幹部、文化人らを糾弾し、

時には暴力や拷問、公開処刑にまで至る極端な行動を取りました。

 

これによって、教育・医療・経済の基盤が一気に崩れ、国中が大混乱に陥りました。

孔子像が破壊され、書籍や歴史的建造物、寺院までもが「封建遺産」として焼かれました。子が親を糾弾し、教師が生徒から吊し上げられるというような、道徳的秩序が完全に崩れた社会が出現したのです。

 

しかしながら、この運動の本質はあくまでも毛沢東による自己正当化と政治的復権であり、イデオロギー闘争という名のもとに政敵を排除するプロセスでした。

 

彼は劉少奇を「中国のフルシチョフ」と名指しで非難し

ついには劉を党から追放、実質的に死に追いやる形となりました。

また、鄧小平も失脚し、地方の農村に送らてしまいます。

 

党の中枢は毛に忠実な人物、特に四人組によって掌握され、中国は恐怖政治のような空気に包まれていきます。

 

文化大革命によって中国全体は大きな損失を被りました。

大学教育は一時的に停止し、知識人層は粛清され、技術や研究は後退しました。

経済活動は停滞し、工場や農村でも「革命」が優先され、生産性が極端に落ち込みました。

 

都市部の若者たちは「下放政策」により地方農村へ送られ、貴重な青春の数年間を労働に費やすことを強いられました。

人々は互いに疑い合い、密告し合い、誰もが誰かに告発される可能性に怯える日々を送りました。

 

毛沢東の肖像画が街の至る所に掲げられ、「毛主席語録」が聖書のように崇拝される、

まるで宗教的な狂熱が社会全体を包んだのです。

 

この文化大革命は、1976年の毛沢東の死と、それに続く四人組の逮捕によって、

ようやく終結を迎えます。

 

その後、中国共産党はこの時期を「十年の動乱」として公式に否定し、

毛の責任を部分的に認める姿勢を取りました。

特に鄧小平は、文化大革命を「毛主席が間違いを犯した」と明言し、

市場経済路線への転換と「改革開放政策」を進めていくことになります。

 

現在、毛沢東の評価は非常に複雑です。

一方では「中国を建国した偉大な指導者」「不平等な封建制度を打ち破った英雄」として尊敬されています。

 

毛の功績として、中国を統一し、外国の支配から脱却させ、農民層の生活改善を試みたこと、そして中国人に「中国は中国人のものだ」という自信と主体性を与えたことなどが挙げられます。

とくに高齢層や農村部では、今も毛沢東を敬愛し、彼の肖像を掲げる人々も少なくありません。

 

一方で、知識人や都市部を中心とする層、国際社会からは、

毛による「大躍進政策」と「文化大革命」が招いた大量の死と混乱に対して、

極めて批判的な評価が下されています。

 

推計によれば、大躍進で約3,000万人、文化大革命で100万~200万人以上が命を落としたとも言われており、その歴史的責任は極めて重いとされています。

 

現在の中国政府も、公式には文化大革命を否定し、「毛沢東は偉大だが過ちもあった」という立場をとっています。

 

彼の肖像は今でも天安門広場に掲げられていますが、それはあくまで象徴的な意味であり、現代中国の実際の政策は鄧小平以降の現実路線によって形成されています。

 

つまり、毛沢東という人物は「建国の父」であると同時に「動乱の元凶」でもあり、

評価は極端に分かれます。

 

中国国内でもタブー視される一面がありつつも、経済的格差や腐敗への反発から、

彼の時代を理想視する声も一部では根強く存在しています。

毛沢東の名を掲げたポピュリズム的な運動もたびたび登場するほどです。

 

今なお中国の政治と社会の中に、毛沢東の影響は色濃く残り、完全に過去の存在として片付けることはできないのが現状です。

 

このように、文化大革命は単なる歴史の一章ではなく、

中国という国家が経験した「思想による破壊と再構築」の象徴であり、

今もその傷痕は政治、教育、社会意識の中に深く刻まれています。

 

そして毛沢東という存在は、英雄であると同時に、

巨大な悲劇の引き金でもあったという複雑な評価を受けているのです。

 

当時ニュースで度々目にしてたのが 紅衛兵でした

明日は この組織についての話に、、、、

 

続くのか、、、。

 

 

 

高光産業株式会社 公式サイト

https://takamitsu.com/

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