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社長&顧問ブログ

2025.7.13

弾圧

高光産業株式会社

妹尾八郎です。

 

昨日までは チベットの話しでした。

今日は 何故中国はチベットを編入し仏教を弾圧するのか??

の話に進みます、。

 

中国がチベットを自国の一部として編入し、

さらにチベット仏教に対して厳しい弾圧を続けている背景には、

いくつかの複雑な理由があります。

 

まず、中国は「国の統一」を非常に大切にしており

国内のどの地域であっても、

自分たちの管理のもとにしっかりと置いておきたいと考えています。

 

チベットという地域は、もともと独自の文化と宗教、

そして強い精神的なつながりを持った人々が暮らしてきた土地です。

その中心にあったのがチベット仏教であり、

その信仰の象徴とも言えるのがダライ・ラマです。

 

彼は単なる宗教的なリーダーではなく、人々の精神的な支えであり、

まるで父親のように慕われる存在でした。

 

ところが中国にとっては、

国の中に「政府とは別の存在」を信じる人々が大勢いることは、

非常にやっかいな問題だったのです。

 

中国は共産主義という考え方をもとに国をつくっており、

その中では宗教という存在はあまり歓迎されていません。

なぜなら、宗教があると、

人々は国家や政府の言うことよりも、

信じている神様や教えを大事にしてしまうことがあるからです。

 

特にチベット仏教は、生活の中に深く根付いていて、

ただお寺にお参りするというレベルを超え、

人の生き方そのものに関わるものでした。

 

子どもたちは幼いころから仏教の教えを聞き、

日々の暮らしの中で感謝や思いやりを学びます。

 

年配の人々は巡礼の旅に出たり、数珠を手に念仏を唱えたりしながら、

穏やかに日々を過ごしてきました。

 

こうした姿は、争いや怒りではなく、静かで温かな心の在り方を大切にする、

チベットという文化の本質を表しています。

 

しかし、

それらが「国家による統一」という名のもとに脅かされるようになった今、

多くの人が戸惑い、苦しみながらも、

それでもなお自分たちの精神を守ろうとしています。

 

例えば、学校では中国語の教育が中心となり、

チベット語の使用が制限されるようになりました。

 

これは言葉だけでなく、

文化やアイデンティティそのものを薄れさせる結果につながります。

言葉は文化の柱であり、信仰や伝統と深く結びついています。

それを奪われることは、

自分たちの存在の根っこを揺るがされるようなものです。

また、お坊さんになるには政府の認可が必要になり、

宗教の内容までチェックされるようになったため、

本来の教えが自由に語れなくなっているという現実もあります。

 

これらはすべて、「政府の力が隅々まで行き届いていることを見せる」

という意図が背景にあるのです。

 

一方で、世界に広がったチベット人たちは、

そうした制約のない環境でチベット仏教を守り続けています。

ダライ・ラマ14世もその中心として、

インドのダラムサラを拠点に活動を続け、世界各地で講演や法話を通じて、

思いやりや慈悲の心の大切さを伝えています。

宗教だけでなく、文化や平和の象徴として、

多くの人に希望を与えている存在です。

 

中国政府は彼を「政治的な分離主義者」として否定していますが、

多くの人々にとっては、

彼こそが心のよりどころであり、精神的な自由の象徴なのです。

 

このように、チベット問題は単なる宗教の話ではなく、

文化、言葉、歴史、そして人々の心の自由に関わる、とても大きな問題です。

 

だからこそ、誰かが声を上げるたびに、それは単なる抗議ではなく、

「自分たちはまだ生きている、文化も信仰もまだここにある」

という証として、深い意味を持ちます。

 

声をあげることが難しい人々の代わりに、世界中の人々がその状況に目を向け、

小さな共感や理解を重ねていくことが、

少しずつ状況を変える力になるのかもしれません。

 

どんなに厳しい制限があっても、

人の心までを完全に支配することはできません。

 

祈ること、信じること、それを通して他人を思いやることは、

どこにいても、どんな状況でも失われることのない人間らしさの証です。

 

チベットの人々の静かな祈りに、私たちがどう耳を傾けるか。

それが、これからの世界の在り方を静かに問いかけているのかもしれません。

そしてその祈りは、決して声高ではなく、石のように静かで確かです。

 

表には見えないけれど、地中深くで力強く燃え続けている信念の火のように、

今もどこかで灯り続けています。

 

未来のチベットが、再び自分たちらしく生きられる場所となるために、

私たち一人ひとりが何を感じ、どう関わっていくか。

それが静かな一歩となって、

やがて大きな変化を生み出していくことを信じたいですね、、、、。

 

そもそも中華思想はいつ芽生えたのか等の話は

明日へ続く、、、。

高光産業株式会社 公式サイト

https://takamitsu.com/

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