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社長&顧問ブログ

2025.7.16

シルクロード

高光産業株式会社

妹尾八郎です。

 

昨日までは 中国の中華思想の話しでした、、。

中国と言えば 良く耳にするのが シルクロードですね

今日は このシルクロードについての話しに進みます、、、、。

 

シルクロードとは、東西を結んだ古代の交易路であり、

名前の通り「絹」が代表的な交易品だったことからこのように呼ばれましたが、

実際には絹だけでなく、

香辛料、宝石、ガラス器、書物、宗教、文化、技術、思想

といったあらゆるものが行き交った、

まさに「道そのものが文明の橋渡し」となった壮大な歴史の舞台です。

 

始まりは紀元前2世紀ごろ、中国の漢の時代にまでさかのぼります。

特に大きなきっかけとなったのは、

前漢の武帝が張騫という使者を西域に派遣したことです。

 

張騫は大月氏という遊牧民族と同盟を結ぶ目的で西に向かいましたが、

結果として中央アジアとのつながりが築かれ、

これがシルクロードの原型となりました。

 

その後、東は中国の長安から、西はローマ帝国の首都ローマや

地中海沿岸都市までを結ぶ交易網が整備され、

ユーラシア大陸を横断する壮大なルートが形づくられていきました。

 

この交易路は、一つの道ではなく、

いくつもの陸路や海路が網の目のように広がるネットワーク型のルートであり、

中央アジア、イラン高原、インド亜大陸、アラビア半島、

そして地中海地域をつなぎました。

 

シルクロードの中でも特に有名なのは、

陸のシルクロードと海のシルクロードの2つです。

 

陸のルートは、オアシス都市やキャラバンサライを拠点に、

商人や巡礼者たちが長い旅を続けました。

海のルートは、東南アジアやインド洋を通じて、船での貿易が行われていました。

 

いずれのルートも命がけの旅でしたが、

それでも多くの人々がこのルートに希望を託して命をかけたのは、

それだけの利益と価値があったからです。

 

実際、シルクロードを通じた貿易は、当時の経済に大きな影響を与えました。

たとえば中国で生産された高級絹織物は、ローマでは金と同等、

あるいはそれ以上の価値で取引されたとも言われます。

もし今の経済指標で換算するなら、

シルクロード全体で動いた経済効果は、

年間数千億円規模、累積では数兆円規模に及ぶ可能性があるとも推測されます。

 

ローマ時代の金1キログラムが今の日本円で1,000万円前後とすると、

その量に匹敵する絹が動いたと考えるだけでも、

非常に大きな価値があったことが分かります。

 

さらに、こうしたモノの交流を通して、

人々の間では文化的な交流も生まれました。

 

仏教がインドから中国を経て朝鮮半島や日本に伝わったのも、

シルクロードの恩恵ですし、

ゾロアスター教やキリスト教、イスラム教といった宗教も

シルクロードによって広がっていきました。

 

また、紙の製造技術が中国からイスラム世界を経てヨーロッパに伝わったことも、

世界史的には非常に重要な出来事です。

 

これによってヨーロッパのルネサンスにもつながる知の拡散が可能となり、

人類の文明そのものの発展にも大きく寄与したといえるのです。

 

シルクロードはまた、地理的・民族的な壁を越えて、

多様な文化が共存する「文明の交差点」としても機能していました。

 

たとえば、中央アジアのオアシス都市では、

漢民族、ペルシャ人、アラブ人、ギリシャ人、インド人などが混在して暮らしており、

共に交易をしながら、互いの文化や習慣を学び合いました。

 

言葉や衣服、食べ物や音楽、医療や天文学までもがシルクロードを通じて広まり、

融合していったのです。

 

たとえば中国の甘粛省敦煌には、

シルクロードの文化交流を今に伝える莫高窟という仏教遺跡がありますが、

そこにはインド風の仏画とペルシャ風の装飾が共に見られ、

まさに文化の融合の証として現代人の目をも楽しませてくれます。

 

このようにして、シルクロードは単なる「貿易の道」ではなく、

人と人とをつなぎ、文化や思想を育む「心の道」となっていきました。

 

しかしこの交易路も、時代の変化とともに次第に衰退していきます。

 

特に13世紀のモンゴル帝国時代には、

一時的にユーラシア大陸が一つの大帝国のもとで安定したことで、

シルクロードは再び活気を取り戻しました。

これを「パクス・モンゴリカ(モンゴルの平和)」と呼びます。

 

しかし、15世紀に入ると、大航海時代の到来とともに海上貿易が中心となり、

陸のシルクロードは次第にその役割を終えていくのです。

 

ポルトガル、スペイン、オランダ、イギリスなどが海路を開拓することで、

より多くの物資を大量に運べるルートが整い

船舶による貿易が圧倒的な主流となっていきました。

 

とはいえ、シルクロードが果たした役割は決して色褪せることはありません。

それは単に過去の遺産ではなく、

現代のグローバル社会の礎とも言える存在であり、

「異なる文化と文化が交流し、理解し合い、共に栄える」

という理念を教えてくれる、いわば人類の知恵の結晶とも言えるものです。

 

近年では中国が提唱する「一帯一路」構想のように、

再びユーラシアをつなぐ新たなシルクロードが注目を集めています。

 

もちろん当時のようなキャラバン隊ではなく、

高速鉄道やインフラ整備を通じた近代版の交易路ですが、

それでも「東西をつなぎ、文化と経済を融合させる」

という根本的な考え方は、シルクロードの精神を引き継いでいるといえるでしょう。

 

現代の私たちにとっても、

シルクロードの歴史は大きな教訓を与えてくれます。

 

それは、どんなに国や言語、宗教が違っても、

人は交流を通して学び合い、高め合い、繁栄していけるということです。

 

国境や文化の壁にとらわれることなく、

互いの違いを認め合いながら協力していくことこそが、

持続可能な未来を築く鍵になるのではないでしょうか。

 

シルクロードが私たちに残してくれたのは、

まさにそうした「共存と共栄」の智慧なのです。

 

交易という営みを通して、人類はただモノを交換したのではなく、

心を通わせ、文明を進化させていった。

 

その道があったからこそ、今の世界がある――

そう思うと、たった一本の道が持つ力の大きさに、改めて感動すら覚えますね。

明日は 現代のシルクロードと言われている 一帯一路 ですが

これは 誰が考えその裏にある思惑とは????

に続く、、、、。

高光産業株式会社 公式サイト

https://takamitsu.com/

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